図書館へは、スープの材料を探しに行く
「残」という字が読めなかったので、頭の中でそのまま「残」と読んでいた。
この奇妙な文字をどう発音するか想像もつかなかったから、とりあえず「残」という新種の五十音として受け入れることにしたのである。
当時小学一年生だった筆者には読めない文字があまりにも多く、祖父母がプレゼントしてくれた『ハリーポッターと賢者の石』はタイトルからして解読不能だった。
後にこのタイトルは「けんじゃのいし」と読むことが判明したのだが、今度は章題『生き残った男の子』が読めない。知らない文字が出現する度に質問してくる筆者が鬱陶しかった母は、たまらず子供用の漢字辞典を買い与える羽目になった。とんだ出費である。
絵や物語を楽しむだけでなく、こうして物事を調べるのも本の役目なのだ。そう学んで以来、筆者は何かと図書館に足繁く通うようになった。
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インターネットで手軽に情報収集ができるようになった今も、筆者は図書館をよく利用している。進学や引っ越しで住むところが変わっても、必ず図書館の場所を調べては律儀に図書館利用カードを作ってきた。
絵を描くときも、文章を書くときも、創作には大量の本が必要である。
だから狭い家に住んでいて経済力もない筆者は、無料で資料を借りられる図書館利用カードがないと何事も立ち行かなくなってしまうのだ。魔法使いのくせに杖がないと魔法が使えないハリーと同じ寸法である。
図書館ではまず、鬱蒼とした本棚の列を目的もなく歩いていく。そこで偶然目に付いた背表紙を引っ張っては琴線に触れるものがないか読み込んでいくのだ(この作業は"読む"というよりも"探す"といった方が適切かもしれない)。
気になる記述が見つかったら、都度それに関連する資料を探し出し、またしつこく読んでいく。筆者の創作は、これの繰り返しである。
本を使って物を調べるのはネットと比べて時間も手間もかかってじれったいが、この作業はミステリー小説の謎解きパートのように分からないことが少しずつ明らかになっていくのが面白い。
思わぬ"拾いもの"があるのも楽しい。
辞書をパラパラとめくっていて、たまたま目にとまった単語。学術書の隅に小さく記載された雑学的データ。図書館での調べ物は、本来の目的とは何ら関係ない情報もたくさん目にする。
こうした無関係なことまで欲張って覚えていると、頭の中はどんどん魔女が煮詰める大釜スープのようになっていく。イモリの目玉やらナマケモノの脳みそやらが入っている、あれだ。
この混沌とした頭をくるくるとかき回してみるのも楽しい。どこですくい取ってきたのか分からない情報がひょっこり出てくることがある。
「とりあえず覚えておくか」とぞんざいに放り込んだ知識が、行き詰まっている創作の隠し味として効果を発揮するのはよくあることで、筆者はこれに幾度となく助けられている。そして今後も助けられるのであろう。
だから筆者は、数秒もあればネットで確かめられるような事ですら、わざわざ図書館で何時間もかけて調べるのであろう。少ない体力を使って、あてもなく館内をウロウロと散策するのであろう。ネットに載っていない情報を見つけたあかつきには、心の中でガッツポーズをするのであろう。
そしてまた、大釜スープに入れる新たな材料を探しに、図書館へ向かうのであろう。
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