生きていくための詩 -「性の恐怖」と「マスク」
こんにちは、honamiです。
三日坊主どころか一日坊主で、何か月もnoteを放置しておりました…。
書かなくちゃとは思いつつ、コロナウイルスが蔓延する中であまり吞気な投稿もできないな…と言い訳を重ねていた私ですが、ようやっと下書きを放出する気になりました。
ある日の母との深夜談義で、過去のセクハラ体験について語り合ったことがあるのですが、今回はそのとき感じた気持ちを詩にしています。
”低俗なものに侵されて、自分が自分でなくなる瞬間を、感じたことがある。陽炎のようにあやしげにふるえる視界、生きているということが、本当に恐ろしかった。自分が予想もしない悪意に晒されたとき、もしかしたら人生とはそういうものなのかもしれないと気づく。今までどうして平気な顔で歩けていたのだろう。原初にあった、隣で手を握る人がいないことの恐怖を、忘れていたことが羨ましい。不確かで不安定で、いつ失われるかも分からないような平安を、いったいどうして愛せばいいというのか。
ただそばにいて。
きみじゃなくていい、君でいいからと、
自分の大切なものすら選べなくなって、それでも生きたいと思うんだろう。一つずつ譲り渡しながら命の眩しさに気づく。この手はただひたすら生きている証に触れたがっている。
ただ、できることならきみが、ずっとそばにいてくれたらと思うばかりで。”
『暗闇の詩』
このご時世なので、空気を読んでもう一つ。
“凛としたまま歩いている。
何一つ拙い言葉にする必要はなくて、誰にも触れられないまま、ただ気高い人間のフリをしている。
ほんとうのことは何も変わらないのに全て分かったような眼をして、特売揃いのドラッグストアに出迎えられる。嘘つき、と言われたような気がした。
誰もが救いを求めてさまよっている。例外はどこにもない。迷いなきその手で、使い捨てのアイマスクを拾い上げる、こぼれおちる、そうして初めて、パッケージは憂いを映した。
わたしが笑っていても、泣いていても、傍にいてください。
今はまだ少しだけ、一人で歩けるフリをします。“
『マスクの詩』
前に進めない日々の中で、大切な人が傍にいてくれることを、何より望んでいるのだと思います。何もかもだめになっても、幸せだと言いたくて。わたしは全ての人々が、ひとりきりで死ぬ前に、そのさみしさを溶かしてほしいと願っています。