倉橋惣三物語、読んでいます。楽しいです。
こんにちは~honaです!
今、倉橋惣三さんの人生を綴っている本を読んでいます。
まだ読了してませんが、感想を少しずつ残していきたいと思っています^^
おこがましくも共感させて頂いたポイント
倉橋惣三さんと言えば、現在の東京大学である帝国大学にはいられるほど素晴らしく優秀な方であった一方で、「子どもの友達」であろうとするご自身の性格から独自の保育・幼児教育論を展開・実践され、常に子どもの為に尽力された、幼児教育を学ぶ身として本当に心から尊敬する方です。
そんな倉橋先生が、「理論や難しいことばかり考えて、現場の実情や思いを考えられていなかったのではないか」と感じたと言うエピソードがありました。
うそ、これって今の私のこと?と思ってしまいました。
倉橋先生のような偉大な方が、いつの間にか一番大事な現場のことをおざなりにしてしまったと考えていたと思ったら、嬉しくて、そしておこがましくも大変共感いたしました。
何せ今の私は、保育や幼児教育の実践をしたこともないにもかかわらず、それらについてあれこれインプットして、それをなんだか偉そうにnoteにまとめて、周囲に言いたい放題に語っているだけ・・・と感じてなりません。
かといって、自分の子育てを優先したいと言う自分のわがままというか今自分がほんとに優先したいことがあるせいで、今すぐその現場に出ることは、できない。
最近、なかなかジレンマを感じるところです。。
だけれども、やっぱり倉橋先生もおっしゃっていましたが、保育や幼児教育に当たって1番忘れてはならないのは、今自分が関わっている子供たちのために自分が何をできるかということを考え続けることだと思いました。
今目の前にいる子供は、どんな存在であるか。その子供が自らやりたいと思っている事は何か。その子供がやりたいことに対して、大人はどのように関わっていけるのか。
・・・って結局考えていくと小難しい話になってしまいそうですが(;^_^A
「目の前の」というところがキーな気がします。どこか遠くの誰かの話ではなく、「目の前の」子どもについて考える。そこから、私も始めていけるかもな、という何となくの感覚をいまは持っています。
子どもに「仮」の時間は無い
同じ本の中で、関東大震災に見舞われた場面があり、その中で心に残った言葉があります。
関東大震災で、倉橋先生が主事(園長と同意のようですが)を務めていた幼稚園も、この震災で大きな被害を被ったそうです。園舎も、建て直しが必要なほどに。
先生は、ご自身のお家も半壊したり、親しい知人の方が亡くなってしまったり、ご自身にも辛いことがあったにもかかわらず、子供のために、幼稚園を仮の園舎で再開されました。
その際に、保母の皆さんにこのようにおっしゃったそうです。
子供には毎日、1日1日が、新しい。1日、1週間、1ヵ月、1年と言う繰り返されるリズムの中で、多様な環境において自らの好奇心を発揮して、自身の中に新しいことを取り入れていく。その時間には、倉橋先生のおっしゃる通り「仮」と言うものなどなく、大人がそれを消費、浪費するようなことは許されない。
先日の私の記事でも、「子どもを取り囲む環境は、すべてその子の一部になる」と言う一節を紹介しましたが、それと同じような感覚を感じます。
子供との関わり方を、また少し考え直させられました。
今日の午前中は、久しぶりにレッジョ・エミリア関連の書籍を読んで、とても感慨深くすごく楽しかった~。
またそれについて考えたことも、そのうち残していこうかなと思います〜(^^)
ではこのへんで。
お読みいただきありがとうございました!
hona