個人面談で、もやる。学校教育の枠にハマらない息子は『良い子』じゃないってこと?
小2息子の、2年生になって2回目の個人面談に、行ってきた。
結論から言うと、先生が、息子のいいところを全くと言っていいほど言及しなかったことに、モヤモヤを隠せないでいる。
noteでも度々記事にしていたが、息子は一時期、学校から遠ざかっていた。
そのおかげで、この2学期の頭は、1時間目だけ行くから迎えに行くとか、給食から行くから送っていくとか、先生と放課後に話に行くとかで、担任の先生とお会いする機会がすごく多かった。
近頃は、ほとんど休まなくなっているので、先生とお会いする機会も減っていた。
その経緯から、私自身は、学校に行き渋りながらも葛藤し順調に通い始めた息子を、先生は受け止めてくれて、子どもたちそれぞれの特性や発達について理解してくれていると、勝手に思い込んでいた。
だが、少し認識が違ったようだ。
先生は、まさに教科書どおりの、カリキュラム通りの子が『良い子』で、学校で成績が上にいる子が『良い子』だと思ってるんだろうというのが、個人面談を通しての印象だ。
息子くんは、問題児とまではいかないけれど、やんちゃな気質だから、このままのペースでやってくれれば大丈夫ですよ。
そんな言い回しが、随所に見られた。
先生は、『毎日登校しない子どもは、優秀ではない』と考えているようにすら、感じられた。
1つ具体的な会話の内容を記そう。
息子が書いた、学習についてのアンケートを見せてもらった。「すっごく面白いんですよ」と仰って。
見せてもらったプリントには、息子が、罫線が引いてあるところに、罫線をはみ出すように大きく文字を書いているところが目立った。私は、自分の思いを、思いっきり書いているように感じた。
それを、先生はこうコメントした。
この言葉に、私は違和感だけでなく、悲しさすら感じてしまった。
学校って、こういうところだったなぁ。
そして、今も変わらないんだなぁ、と。
枠からはみ出したっていいじゃないか。
むしろ、枠からはみ出ること、一人ひとりみんなと違う特別な存在であることは、かっこよくて素敵で、尊重されることなんじゃないのか。
それは、息子の良いところなんじゃないのか。「面白い」という言い方には、もはや蔑みすら感じられる。
『みんなおんなじ』を、同調性を重んじる日本の教育が、まだまだ色濃く残っているし、それを当たり前に受け止める文化も残っているんだと実感した。
子どもたちはきっと、学校や教室の中で、「学校教育」という『枠』にハマっていることが正義、それ以外は悪、みたいなゼロイチの評価をされている。
実際には、何事もグラデーションなのだから、『できる』『できない』で分類されることなく、それは彼らの成長過程であり、個性であることを認めてほしいと感じる。
例えば『出来るようになるには、こうしよう』と試行錯誤することや、『じゃあ他に自分が好きなことや得意なことはなんだろう』と考えること。
誰かに言われなくても自分から考える、行動する。
彼らの好奇心が発揮される場面があることで、脳の発達さらには心身の発達につながっていく。子どもが、自発的に主体的に学びに取り組むことに、つなげていってほしい。
◇
期待しすぎていた、かもしれない。
息子の学校の行きしぶりに対して、すごく柔軟に受け止めてくれた印象があって、感謝していたから。
公立小学校だから仕方ないと、言う人もいるかもしれない。
私もシュタイナー学園などのオルタナティブスクールを、まさに検討しているのだし。
それでも、目の前にいる自分の子どもの良さを、今理解してほしい、理解できなくても受け止めようとしてほしいと、願ってしまうのは、親としての正直な気持ちなんだ。
自分の気持ちを大切に行動して、やりたいことをやっている息子はすごい、かっこいいって思う私は、そういう先生からは、親バカと思われておわりなのかな。
◇
では今日はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました!
hona
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