子どもが夢中になることは、「知」との縁を繋ぐ
こんにちは~honaです!
今日、noteでいろいろ記事をたどってみていたら、有名人の方もnoteをプラットフォームにして発信されていることを初めて知りました。今更(;^_^A
そんな中で、村本大輔さんの記事を拝見して、いいフレーズだなと思ったものがあるのでシェアしつつ、考えたことを残したいと思います。
それは、「無知は罪ではない。たまたま縁がなかっただけ」と言うフレーズ。
ウッディアレンさんの映画「女と男の観覧車」の中で出てくるものだそうです。
村本さんの記事は、あまり知らない分野について意見を述べるとたたかれることから話が始まっています。
ご自身があまり知らない事について「知らないくせに知ったがぶりで」発言した際に、音楽家の坂本龍一さんが丁寧に説明して下さったエピソードも、とても興味深いものでした。
私自身、知らないことを、恥ずかしいと思ってきました。知らないから、発言しない。ときには、考えることからも逃げる。
だって知らないままに自分の思っていることを話したら、どう叩かれるかわからない。どう思われるかわからない。
怖い。
日本は、同調圧力がつよいと国民性があると言われていますが、まさに私も同じです。
でもその知らない事と言うのは、決して悪いこと、恥ずべき事ではなくて、これまで生きてきた中で、たまたま知ることがなかっただけなんだ。
ストンと、腹落ちしたような。スッキリしたような。そんな感覚を得ました。
村本さんの記事ではさらに、それまで自分が興味がなかったことでも、自分が自分の好きな人や好きな有名人が興味を持っていると知ると、ちょっとググって見たり考えてみたりするきっかけになる、という話をされています。
そしてちょっと話はそれるのですが、今朝また園長先生と少しお話をする時間があって、昨日資料を頂いた、「野口体操」というものを作られた野口三千三さんのエッセイについて、お話ししてくださいました。
そのエッセイでは、野口さんが大学で教鞭をとる前に地元の小学校で体育の教師をされていたときのお話が綴られています。
鉄棒しようと思ったらその鉄棒が錆びついていた。だから子供の前でその鉄棒を一生懸命ヤスリで磨いてピッカピカにした。すると子供たちも一緒になってその鉄棒をピカピカにした。鉄棒に愛着心を持った子供たちは、鉄棒を楽しそうに遊んでいた、と言うお話です。
園長先生は、保護者や教師は、大人たちは、どうしても子供に関わる際に、「何ができたか」と言うわかりやすいものや数値として見えるものばかり見てしまいがちだけれど、子供が自ら好きで愛着が湧いていて夢中になれる状態かどうかを見てあげることの大切さを教えてくれている、とお話ししてくださいました。
私の中で、村本さんのお話と、園長先生がお話し下さった野口先生のお話が、なんとなくつながった気がしました。
無知は罪ではなく、たまたま縁がなかっただけ。
その「縁」は、子ども達にとっては「自分が夢中になれること」ではないか。
だからきっと、私たち親や教師が彼らにできることは、子供たちが夢中になるきっかけを与えてあげること。
子ども達自身が本当に大好きで愛着を持てていて夢中になれることを見つけることは、彼らを「知」の入り口に導くこと、「知」との縁をつなぐことにもなるんだ、と思いました。
それはまるで、野口先生が教えた子供たちが、自分たちで磨いたツルツルの鉄棒に愛着を持って楽しんだように。
子供たち自身が夢中になれる、楽しいと思える保育、子供への関わり方を考え続ける。それを忘れないようにしようと、改めて思ったのでした。
村本さん。色々考えている方なんだなぁ。テレビでの激しいトークは覚えているけれど。
やっぱり一次情報がいいなぁ。
今日はこのへんで!
お読みいただきありがとうございました^^