変わりたいと思った時に効く「プチトライ」
なぜ、いつもこうなるんだ!
人生は水戸黄門。
悪事を働けばかならず黄門サマがやってきて、楯突こうものならスケサンカクサンによってコテンパンに成敗される。
いつものおふざけではない。本気だ。
なんかわからないけど、この場合「いつも必ず絶対にこうなってしまう」という時がありはしないだろうか?
例えば
本当はすぐにでも帰りたいのに、酒好きだと思われているせいか、必ず4次会までつきあわされる飲み会とか。
生まれつき強めな肝臓を駆使してなんとか4次会を納めて帰ったら、風呂に入れずに寝落ちしたとか。
本当は真っ直ぐ帰って月9が見たかったのに!
ゆっくり風呂に浸かってビール飲みながらみるはずだったのに!あのやろう!あんな時間まで付き合わせやがって!
(※あくまで一例です。筆者はこんなに飲んだくれてはいません。)
……しかし、悲しいかなこれは自分が選んでいるのだ。
飲み会では必ず朝まで飲む、という思い込みからこの現実は派生している。
この思い込み、つまり思考パターンが、自ら朝まで飲むという行動を選んでいるのだ。
つまり、行動と思考は互いに作用し、現実を作り出しているということ。
そして思考は経験が作りだす。
朝まで飲むが良いか悪いかはさておき、もしいつも良くないと思っているなら、解決方法は一つだ。
思考を変えるしかない。
これまでの経験によって、「飲み会では朝まで飲む」という思考がパターン化されてしまっている。
と、いうことは「朝まで飲む」ところを「終電まで飲む」に変えてしまえば良いのではないだろうか。
こんな風に自分が向かいたいと思う方向性の思考パターンに塗り替えていくのだ。
しかし!長年の経験によって培われてしまった思考パターンなんてちょっとやそっとでは変わらないのでは?
そんな心配の声が聞こえてくる。
ゴモットモ。経験に勝るものなし。1日でよいしょー!とは変わらない、変えられないのが人というものなのだよ…(誰目線)
しかし、逆に言えば、経験さえ積めば簡単に思考パターンを変えることができるのではなかろうか?
そこで登場するのがプチトライだ。
言葉の組合せでだいたいのイメージはつくと思う。
プチはプチトマトに代表される、「小さい」とか「少し」という意味。トライは英語のtryと同じ、「挑戦」や「何かをやってみる」という意味だ。
つまり、プチトライとは「小さな挑戦」という意味。(もったいつけやがって)
やっぱり酒は朝までだったわ!と思ったなら、別のことでもいい。
ごはんを食べた食器はすぐに洗うとか、そんな小さいことにトライする。
できたら自分を褒める。
そんで気分が良くなって翌日もトライ。
2日もできた!すごい!褒める!
気分は上々、3日目も楽勝よ!
決してふざけてはいない。本気だ。(2回目)
これを毎日繰り返していると、皿洗いという行為は習慣になっていずれは経験へと熟成する。
そうして、昔の経験を塗り替える経験データとなり、思考パターンも変わる。
どうかね、経験を逆手にとったプチトライ作戦、最強ではなかろうか!
きっと10年後くらいには向かうところ敵無しミラクルキラキラホンサチ?になっているはずだ。
そんな冗談はさておき。
つまるところ、日々の積み重ねが最強なのである。
こんな時間だけど、今日も皿洗って寝る。
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