内なる言葉はあなたの指針となる
どうしたい?
と聞かれたとき、うまく言葉にできないことはないだろうか。
あるいは言葉にして伝えても、相手に思いが伝わってないような気がするとき。
大抵の場合、直感は的中している。
わたしたちの言葉は相手に届いていない。
理由のひとつに、心の言葉と実際に口に出す言葉に、大きく隔たりがあるということが挙げられる。
わたしたちの中には大きくわけて「心の言葉」と「口に出す言葉」のふたつが存在する。
心の言葉は、瞬間的に浮かぶ感情。
足の小指をイスにぶつけたときに「いってーー!」という言葉が出ることがあると思う。公衆の面前の場合、痛いなんて微塵も思ってないですけど?とすまし顔で、心の内に悶絶を秘めるとき、それは心の言葉になる。
「口に出してこそいないが明確に持っている感情」、それが心の言葉だ。
この心の言葉に背いたとき、わたしたちの口にする言葉は陳腐なウソとなる。
人々はその偽りを鋭く見抜き、考えの浅い「口だけの人」という烙印を押す。落胆した相手はわたしたちの言葉に耳を貸すことをやめ、理解しようとする努力をやめてしまう。
その結果、どれほど口先を駆使したとしても、彼らにわたしたちの言葉が届くことはないだろう。
そうならないために、わたしたちは心の言葉に注力する必要がある。
心の言葉を読み解き、理解し、自分自身の信念として据える。
その信念から発せられる言葉は、真実を内包している。
その誠意に、人々は心動かされるのだ。
相手の心が動いたときこそ、わたしたちの思いが伝わったときであり、
同時に内省の質を証明するときだ。
だからこそ、内なる言葉から目を背けてはいけない。
内なる言葉はあなたの指針となるのだから。