本物の「しっかり」者になるために
学生や新卒の子と話をしていると、しっかりしている子だな、と感じることが増えた。
彼らは、自分の意見や感性を迷いなく語る。
わたしも同じ年頃のころは、周囲から落ち着いているね、しっかりしているね、と言われることが多かった。でも当時のわたしと、最近の若者に感じる「しっかり」は別物だ。
わたしの「しっかり」は社会人として、成人した大人として、どのように振る舞うのが正しいのか?という視点に基づいたものだった。
今になって思う。この「しっかり」は不要だ。
必要なことは、きちんと内省できていること。さらに内省した内容を言語化できると、「本当のしっかり」になる。
ぼーっと生きていても、明確に何かを目指して生きていても、必ず人生の指針のようなものを考えなければいけないタイミングが来る。
起業したい人は起業のために何が必要か考えて行動をするだろう。現状に満足している人は、維持するために必要なことを知らなければいけない。
でも、「自分が何を欲しているのか?」という根本的な問いに答えを見つけなければ、すべてが付け焼き刃であり、路頭に迷い続けることになる。
自分の足もとがぐらついてしまったときに、立ち返る指針。それが「自分が欲しているもの」であり、把握する為の手段が内省だ。
理屈と感性が複雑に絡み合う心を、じっと見つめる。その先にある自分を見つけよう。
始めるに遅いことはない。でも早いにこしたことはない。
若者たちをみてそんな風に思うのは、少しずつ年を取っている証拠かも知れないな。