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「寄付」に見返りって求めちゃダメなのかな
寄付ってしますか?
とある人生の大先輩を真似、ときどき寄付をしてました。そして『いいことをしたー』とスッキリした気持ちでいたんですよね。
でも最近、気がついてしまったことがあります。実は私のしていた行為は『寄付』ではなく『交換』だったのかもしれないと。
今日は、ちょっくら考えることがあったので寄付の話し。
尊敬の大先輩
まずは、人生の大先輩の話からしますね。
私の最年長の友人。80歳を超えるその方とは、とあるご縁で繋がり毎朝ショートメッセージをし合って7年がたちます。
内容は『おはよう』の挨拶と、今日を盛り上げる一言系。元高校の国語教諭ということもあり、いつもおしゃれな文章です。
おしゃれなのは文章だけじゃない。
生き方もおしゃれ。
例えばですが、長いあいだ匿名で児童養護施設に寄付し続けていらっしゃっいました。(100万円分に到達した時点で、身元をカミングアウトされ新聞で表彰されていて知りました)
そのほか、我が家にも図書券を数万円分くださいました。地方新聞への投稿でもらった参加賞を貯めてらっしゃったようです。(ちなみに、私も了承を経て8割は地域へ寄付)
近年は、他界後の自分の体を社会に役立ててほしいと自分の死後の検体の手続きもされています。(ご家族は了承済み)
こうした見返りを求めない行為を、本来は寄付と呼ぶんだと思うんです。
懸賞と見返りと
今度は、私の話し。
地味な趣味ですが、懸賞が好きです。
ラッキーなことに、結構当たるんです。持ってる女なんですよね(黙れ)。
で、当選したものを寄付することもあり、それがささやかな趣味ともなっています。
寄付する理由の一つとして、前述した紳士を見習っていること。『少しでも社会の役に立ちたいな』と思っています。
それ以外の理由としては、受け取った方の喜んでもらえた表情や『ありがとう』の言葉を受け取るのが最高に嬉しいんです。
『受け取るのが最高に嬉しい?』
受け取るのが最高に嬉しい?
『受け取るのが最高に嬉しい』って、取引じゃん!
最近になって自分の邪(よこしま)な気持ちに気づきました。
支援することで私が幸せをもらっていた。
貢献を通して、自分自身が満足を得ていたんです。
精神的な見返りを欲している、一種の偽善行為です。
そんな自分に落胆し、何度も考えてみたんです。したらば、まさかの開き直り。『これでいい』という結論に辿り着きました。
見返りを求めないという寄付の定義としては、私の行為は偽善なのかもしれません。もしかすると、寄付ではなく、ただの交換なのかもしれない。
ただ、偽善だとしても困っている人に対して何か届くのであればwin-winのことだってあるはず。
ふるさと納税だって寄付控除の税制の仕組みだって、互いに何かしらの見返りを享受しあっているじゃないか!
私は、これからも・・・
私はこれからも、地域図書館や地域施設に本を届けたり、正月の年賀状で当たった切手をどこか遠くの国に送ったりします。
そして、偽善を寄付だと思い込みつつ『交換』という行為に喜びを得続けることでしょう。
とりあえず直近のところでは、私の住む島根県のお隣、鳥取県のウェル蟹キャンペーンに応募しました。こちらは、当選しても自分で使用する予定です!ザ・我欲!
今年もこんな私をよろしくお願いいたします。
今日はここまで!
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