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「あなたには私の気持ちなど分からない」障害児の親として、わかって貰うことの拒否が始まった
障害者のお母さんになって何度も耳にするようになった「寄り添う」という言葉。
とても優しい言葉のはずの「寄り添う」という単語。
それなのに、今の私は「寄り添いたい」といわれると
なんだか違和感を感じる。
だって私は既に「寄り添いたい」と、いってもらったところで
「あなたには、私の気持ちなど分かりっこない」
というところまで達している。
「誰か、寄り添って」と願ったときもあった。
「誰か、少しでも気持ちをわかって」と主張したときもあった。
「何度も伝えれば、伝わるはず」と思っていた頃もあった。
それなのに、今の私は
「あなたには、私の気持ちなど分かりっこない」という
分かり合いを拒否しようとしている。
こうなってしまった、経緯ってとても惨めだよね。
優しく差し伸べられる手を振りほどく気持ち。
寄り添われること、わかり合おうとすることの拒否。
私に限らない。
貧乏な人が、お金持ちに。
障害者の親が、定型発達児の親に。
敗北者が、成功者に。
「寄り添いたい」と手を差し伸べた頃には
「あなたには、私のきもちなど分かるはずがない」となってしまっていることもある。
その気持ちに到達するまでに
寄り添って欲しかった気持ちを思うと心が痛い。
今の私もだ。
ここに至るまで、どれだけ私が社会に助けを求めたことか。
***
じゃあ、寄り添うとは悪いことなのか。
それもまた、違うと思う。
人と人とは、
寄り添い合い
支え合い
分かり合おうとしながらでないと、生きていけない。
難しく聞こえることでしょう。
でも、寄り添ってくれたかどうかは
結果として「寄り添われた側」が決めること。
「あのとき、あの人が寄り添ってくれたから今の私は存在します」
といったように、他者が決めることなのだ。
***
私は「寄り添いたい」などと、おこがましくて言葉にできない。
「寄り添いたい」といってしまえば、上から目線のような気持ちにもなってしまう。だから「すこしでも、その人のことを分かりたい」と、心の中で思う。そのためには、その人が今置かれている状況について知りたいと思う。
****
矛盾に聞こえますが、私は寄り添ってくれる人に心救われます。ただ、私のことや我が家の障害児育児の壮絶さを詳しく知らない人に「寄り添いたい」といわれると「あなたには、私のことなど分かりっこない…」となってしまうのです。
正確には「なってしまった」のです。
「寄り添う」とは、自ら提案した時点で「違和感」へと変わるようなきがする。
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