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終わりと始まり

「ツナガリイム」が多分、終了したかな?今日2通とどいていて7月31日の消印で、御朱印を書き返信しました。数えてみると125通になっている。多分、普通のお寺では、数十年かけても行き着かない数、その間、御朱印を書き、寺報と寺のパンフレットを入れて送り返しました。

手紙も頂き、写仏が心を穏やかな時間を与えていたことがわかって嬉しかった。祈願もさまざまでここでは書けないものもあり、今を知るにも繋がたったかな?(笑)

始まり

終わりがあれば、始まりもある。

8月の棚経が本日始まりの一軒目。次は8日からで1日40軒ペースです。今日は自坊から一時間かかる木更津の檀家さん。コロナ禍で気を使っていただき、電話がなく、こちらからお電話をして伺う形に。

行き帰りあわせて2時間、読経に15分、お茶もせずマスクごしの近況報告のみ。それでも伺う。

佐倉のお檀家さんも伺う予定でしたが、佐倉は檀家さんの近くでクラスターがでて急遽、先方から今年は…となりました。(春の彼岸はうかがった)

アナログ

さて、「ツナガリイム」にせよ、棚経にせよ。手間隙はかかる活動ではあります。でも、個人的には行ってよかったし、価値もあると感じています。オンライン法要もこの状態ですから、仕方がないとは思います。

一方で、こんな状態だからこそ、手間隙をかけ互いの温度が感じる活動。個々つながるアナログな活動が大事ではないでしょうか?

合理的であることは、確かに私も求める時が多いです。しかし、オンラインがこれ程一気に進むとオフラインの価値、非合理的な付き合いやアナログの価値が高まっているように感じるのは私だけでしょうか?

社会が合理的、オンラインなら、寺くらいはオフラインで非合理的もありかもしれないと感じる今日この頃です。


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