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コロナ禍で見えてきたもの

現在、コロナ禍となり感染症対策でもあり、法事や葬儀の縮小化が起こり、通夜や法事の後の食事の機会が減ってきている。

さて、葬儀の縮小化はコロナ以前からその傾向はみられていた。少子高齢化の社会とは、跡継ぎがへり、ひとり死が増えていく。家制度が崩壊し、それ順じて墓じまいが増えていく。以前は会社という縁、社縁もあって盛大な葬儀もあったが、寿命も延び仕事を終えて、二十年、三十年というケースも増えている。大きな葬儀は減るのは自然と言えよう。

故人と関係が深い方にとっては、世間の目を気にしないで、喪に服す時間が増えたことになる。それは大切な方との別れを十分に行う機会が増えたとも言える。

それ故に自坊では、枕経で近親者が耳もとで故人に最後の声かけをする、法事で前後に故人がどのような方であったかを聞く機会を設けている。

一方で世間程が無くなったが故に、直葬といった枕経、通夜、葬儀といった通過儀礼を無くした形を求める人々もおり、直葬専門の葬儀社もあると聞く。

この問題の向こうにあるのは、社会構造の問題だけであろうか?儀礼を儀礼としてしか見て来なかったことやそこにある人間関係を大切にしたり、ともにあろうとしてこなかったりした我々僧侶にも問題があるのではないだろうか?

危機にはそれに相当のチャンスがあるなどと言われる。確かにそうだろう。ただ、それはそれ以前の寺院、僧侶のあり方も関わってくる。今までのあり方は変えられないが、これからは変えられる。

自分ももちろん例外などではない。反省し、あり方を検討する機会としたい。

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