雨天中止
本日は、上茂原の妙光寺の護持会役員さんが勤労奉仕で行ってくださる掃除日です。
しかし、あいにくの雨天のために、延期になりましたが、それでもお会式の打ち合わせや8月の全体掃除日の話に・・
色々考えてくださいます。ただ今年はやはり特別で、欄干でペットボトルで話合いです。
生活の変容がやはりある。
今年から始める予定だった、実験的な代務寺での記念講演会も、一端白紙に・・。講師予定の方が遠いことや集団で密集がさけられないことを鑑みてですが・・
自然の営み
人間の行動変容は求められていますが、自然の営みは変わりません。梅雨になるし、草は生えるし、育ちます。
ウイルスはあくまでも人間にとって害ですが、植物には全く関わりがない。
福岡伸一『生物と無生物のあいだ』でも触れられていますが、あくまでもウイルスは動物に寄生することで増殖します。動物が生きている限りこの危険性からは、逃げられない。
さらに言えば、ウイルスを擬人化して考えると、生き続けるためには宿主を殺すと自分も死に、バトンタッチ、種の保存ができない。となれば、どんどん宿主に移る、増殖して種の保存をはかることになると思います。
人間はどうする・・
ウイルスは種の保存のために、感染を目指す。我々は種の保存のために、離れる。しかし、毎日一緒に生活している人は、信頼し生きていく、ある意味で賭けをやるしかない。社会とは距離はできるが、家族は密接になるのかもしれない。
そこに摩擦は生じ、虐待が生じたりする。また、世間との密接がへり、全体としての自死者は減っている。
日本は食料自給率が低い、今の鎖国状態は長くは続けられない。中長期的に、今後も違うコロナが生まれと向きあう時がくるならば、当たり前だが、農家が必要だし、農家が増えることで、自然と向きあい。社会的なストレスが減り、自死者が減るかもしれない。
寺の仕事?
地方寺院の復活は、産業が必要。コロナでそれが変わる可能性がある。
その中で寺は何ができるのか?
家族が密接してしまうことで生じるストレスを減らす。気分転換を一時促すということも必要な機能なのかもしれない。
家族と向き合えていない自分を反省しつつ。