問う勇気
昨日、今日と睡眠時無呼吸症候群の関係て病院に伺っている。結局、精密検査へという形になったが…
その間待合室で読んでいたのは
「ミシュカの森」での講演や寄稿を収録したものです。入江さんのあり方に6人がそれぞれ尊敬、尊重していることが感じられるもので、どの文章も素晴らしく、勉強になるが、個人的に特に考えさせられたのは、島薗進先生の以下の文章です。
地縁・血縁で、 あるいは信仰をともにする者同士で、 宗教儀礼を通してともに悲嘆を分 かち合い、超越的な次元に何かを託すと経験が乏しくなってきた。そこで個人は悲嘆を胸の内に抱え込むことになる。一方、亡くなった死者との関係はこれまで以上に濃密になっている。 つき合いのある人は多い。普段は仲間が多い、忙しいと思っている。ところ が、とても大切な他者は多くない。数少ない深いつながりがあり、 それは共同体に支えら れていない。なので、それが喪われた時の痛みがことさらに大きい。 このように考えると、現在、次々に立ち上がってきているグリーフケアの集 いは、孤立化を招きやすい現代社会で、人々がつながり合う新たな場を求める運動の一角をなすものと見ることができる。(228頁)
そもそもはコロナ前に書かれていた文章だと思う。コロナ禍となり、この傾向はより強くなっている。
その中で、我々寺院、僧侶はただの儀礼でなく、ともにあることであったり、喪失からの再生に寄与できるのか?様々な模索が求められていると思われる。
入江杏さんのあとがきを読みながら感じたのは、世間に型にはめられながら、問いつづけ向きあいつづけた勇気です。ご本人にオンラインでお会いするとしなやかで強くてやさしい。それは向きあいつづけたあり方にあるのだと、改めて感じさせられた一冊です。