子規庵と絶筆三句
正岡子規が結核の
病床で俳句を書いていた
子規庵の四畳半。
ぼくも畳に寝転んで
小庭を眺めてみた。
窓枠を通して
糸瓜の実が棚から
何本も下がっていた。
糸瓜が好きだった子規は、
この糸瓜を眺めていたのだろう。
明治35年9月19日、
齢い34歳で亡くなった子規。
その前日、妹の律と碧梧桐に
助けられながら筆を持った。
画板に貼った唐紙に句を書いた。
紙の中央に「糸瓜咲て」と書きつけ、
碧梧桐が墨をつぐや「痰のつまりし」、
さらに「佛かな」と書き終えた。
「糸瓜咲て 痰のつまりし 佛かな」
投げるように筆を捨て咳き込む。
痰が切れるや「痰一斗」の句を、
「糸瓜咲て」の句の左に記した。
「痰一斗 糸瓜の水も まにあはず」。
右へ「をとゝひの」句を斜めに書いた。
「をとゝひの へちまの水も 取らざりき」
三句を書き付けたあと、
再び筆を投げ捨てた子規。
筆は穂先から白い寝床の上に落ち、
墨のあとを少しつけたという。
子規は終始無言だった。
絶筆三句にはいずれも
へちま、糸瓜が書かれている。
棚からぶら下がった糸瓜は
青々としてるだけに、
とても悲しかった。