清濁併せ持つ道を、今日も迷いながら巡礼する___リヒャルト・ワーグナーのオペラ「タンホイザー」_2023年2月某日
2023年2月某日に、リヒャルト・ワーグナーのオペラ「タンホイザー」に行ってきました。
「タンホイザー」の楽譜には、ドレスデン版(1860年刊)とパリ版(1888年刊)と呼ばれるものがあり、今回は両方の版を折衷した形で上演されたそう。
まるで朝霧の中にそびえる山頂のような序曲も美しく、ヒトであることの苦悩と悲哀、どうしようもなさ。ヒトであるからこその様々な喜びも感じられるようでした。
今回は冒頭にバレエのシーンが長く取り入れられていたのですが、気品と官能を併せ持つ群舞は、騎士歌人であるタンホイザーが地下の洞窟で愛の女神ベーヌスの下で、長く快楽にふけりながらもやがて飽きていく、時の流れにも見えました。
アレホ・ペレス指揮による音は全体的に軽やかに感じられ、私には分かりやすいものでした。
そして何より、タンホイザー役の世界的なヘルデンテノール(英雄的でドラマティックなテノール)、ステファン・グールドの歌唱はもちろん、体躯を含めた存在感は別格! ステファン・グールドの表現に、まさに神々とヒトの世界の狭間を見ました。
(以前、一緒に写った写真は家宝です!)
そして、愛の女神ヴェーヌス役のエグレ・シドラウスカイテも、かっこよかった。
タンホイザーに振られた直後に「世界を呪う!」と歌った時には、思わず「巻き添えが多すぎる! 神様だからと言って、あまりにも手厳しすぎる」と、苦笑してしまいましたが。
2幕の冒頭でエリーザベトが歌うアリアは、タンホイザーの歌を聴いて以来自らも愛欲の疼きを覚えるようになったと暗に打ち明けているのですが、エリーザベト役のサビーナ・ツヴィラクは徹頭徹尾、堅い清潔な鎧に守られているようで、予習していかなければ何故、自らの命を絶つほどまでにタンホイザーの改心を望み、彼が許されることを祈るのかが分かりにくかったかもしれません。
でも、個人的にはそこが良かった。
何度もしつこくて申し訳ないのですが、あくまでも私の場合に限っては、「芸術性・文学性」を笠に着て、「官能」やら「女性独自の美しさ」やらという旗を振りながら、女性が自ら肌を晒したり、「生々しさ」をあたかも誉め言葉のように捉えて立ち振る舞うのを見ることに、昔から強い抵抗があるのです。
たとえば昨年の新制作のオペラ「ペレアスとメリザンド」のような演出を見せられるくらいなら、いえ、そうでなくとも、サビーナ・ツヴィラクさんの凛とした瞳の奥で揺れ動く苦悩が表現されていた今回の演出は大変好みでした。そもそもエリーザベトは、領主ヘルマンの姪であり、深窓の令嬢なのですから。美しい「序曲」のように、全ては霞の中にあってほしい。
3幕、巡礼の果てにとうとう許しを得られなかったタンホイザー。自暴自棄になった彼をかつての騎士仲間が諭すアリアにも、その後のダイナミックなラストにも強く惹かれるのですが、「巡礼の合唱」は何度聴いても自然と涙が溢れるほど、大好きです。
もしかすると私は今日も、清濁併せ持つ道を迷いながら巡礼しているのかもしれません。
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