日本フィルハーモニー交響楽団で聴いた、シューベルトとブルックナーそれぞれの「交響曲第3番 ニ長調」_2024年4月12日
日本フィルハーモニー交響楽団のトロンボーン奏者の伊波睦さんと、松本記念音楽迎賓で館開催された、「小澤征爾さんの残したもの、共に消えて行くもの」でご一緒した俵豊さんと、4月12日に「第759回東京定期演奏会『ブルックナー生誕200年』」を聴きました。
指揮は下野竜也さん。プログラムは、シューベルトとブルックナーの、いずれも「交響曲第3番 ニ長調」。
どちらも想像力が掻き立てられて、踊り出したくてたまらなくなる、素敵な演奏でした。
■春の朝日を浴びながら踊り出したくなる、シューベルトの「交響曲第3番」
前半に聴いたシューベルトの「交響曲第3番 ニ長調 D.200」は、まるで森へと続く安全な庭のやわらかい芝生の上で、春の朝日を浴びながらごろごろ転がって遊んでいるように心が踊りました。
見えている映像では目線が低く、少し上に花々も見えたことから、こちらは小さな少女だったように感じます。下野さんの指揮もまるで踊っているかのようでした。
1楽章の終わりでは、音が消えて行く瞬間までその輪郭が見えました。春から初夏に向かって行く時の、わくわくした中に一瞬の郷愁や切なさが差す感触を味わいながら、迎えた3楽章。
曲にレントラー(南ドイツの民族舞踊)が組み込まれていると知らなくても、素直に踊りたくなる音楽でした。本当に美しくて、楽しかった!
心がのびのびと自由で、安心しているのはなんと豊かな瞬間であることかと、しみじみ感じました。
■チェーホフ「桜の園」で描かれる前の”物語”を見た、ブルックナー「交響曲第3番 」
同じ春の朝、森の目覚めを描くのに夜明け前の最も暗い風景から描くところが、ブルックナーらしいと感じた「交響曲第3番 ニ短調 WAB.103(1877年第2稿ノヴァーク版)」。
うっそうと茂る森の奥が静かに震え始め、木々の間から一筋の光が差した瞬間に神の存在を感じるーー。
私がブルックナーを好きな大きな理由の1つとして、ブルックナーを聴くといつも、人生の点と点がつながって腑に落ちていく感覚を味わうことが挙げられます。もちろん今回もそのような感動がありました。
楽曲や作曲家の背景や事実を一切無視してお話をさせていただくと、
「交響曲第3番 」を聴いていると、古い汽車の車窓からロシアの広大な草原を眺めているような気持ちになりました。
夜になると外には、月に照らされた海が崖の下に広がっています。
この光景を何度か繰り返しながら、長い旅を続けていく。
風景は変わっていないようでいて確かに変わっており、それを眺めながら色々なことを回想している。そしていくつかの発見とともに、全ての記憶に伴う感情が肉体から少し離れていく。そんな感触を味わったのです。
そして、曲を聴きながら浮かぶイメージが、チェーホフの「桜の園」が始まる前。ラネーフスカヤの帰国に合わせてロパーヒンが仕事先から帰っている2週間の風景であると分かった瞬間、管楽器の華やかな音とともになんとも言えない多幸感に包まれました。
ーーと、いつもこのように私はただ音楽から浮かぶイメージと戯れているのです。
アカデミックな聴き方は何ひとつできず、演奏会にわりとよく行っているはずなのに奏法や曲に関する固有名詞もほぼ語ることができません。
今回の演奏会後には、伊波さんのお友達の方々の輪に入れていただき、美味しいワインを片手におしゃべりしたのですが、こんな感想ともいえない感想もみなさん受け入れていただけてうれしかったです! 感謝をこめて。
■プログラム
シューベルト:交響曲第3番 ニ長調 D.200
ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調 WAB.103(1877年第2稿ノヴァーク版)
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