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【カタリ】第1章_才能の値段  (全7章)

■才能の値段

 私だって、人の幸せにつながる仕事をして、お金を稼ぎたい。
 心の底からこう思った日のことを、棚絵奏たなえかなは今でもはっきり覚えている。奏だって、ほどほどに善良で、相手を尊重して平和を重んじる、普通の二十歳なのだ。

 詐欺師である前に。

   *

 6月の第1金曜日。東京都北区の公共美術館では、甲高い歓喜の声がときおりエントランスにまで響いている。

 展示スペースに併設されているレストラン「華」には、50人近くが集まっていた。年齢は40代後半から60代後半で、ときどき30代の女性や、70代の男性がいる。服装はバラバラだ。男女ともスーツが多めだが、ドレスや和装の人もいれば、ジーンズにジャケットを羽織ったカジュアルな人もいる。会場内のBGMにはクラシック音楽が流れており、壁に大きく「アールヌーベルヴァーグ展~さん~」と印刷されたポスターが貼ってある。

 アールヌーベルヴァーグ展の開催は今回で3回目となる。展覧会名は「誰もがどこかで耳にしたことのある、それらしい単語を用いて、なおかつ価値観を刷新する雰囲気を出す」ことを意図して、社長がつけた。1950年代の後半にフランスで起こった映画表現の新しい潮流を指す「ヌーベルヴァーグ」からとったそうだ。ちなみに第1回のサブタイトルは「いち」、第2回は「」だった。

 奏を含めた真美術出版舎の社員4人のうち、2人が「華」の入口で入場案内をしている。奏と社長の黒澤敦志くろさわあつしは会場内の上手で、招待客に声をかけて着席を促していた。配膳は「華」の従業員がしてくれるが、案内は奏たちが行っている。

 招待客はアールヌーベルヴァーグ展に出品している美術家たちだ。日本画家、洋画家、書家、彫刻家、工芸作家、写真家と多種多様だ。彼らは受付を済ませてからも、席につくまで時間がかかった。半数以上が初対面なので、遠慮し合ったり、面識のある人を見つけて話し込んだりして、場の空気を探っている。一度席についた後にも、知り合いや著名人を見つけて、挨拶に立つ人が少なくない。

 特に奏はひっきりなしに声をかけられている。もしくは会場の隅から、自分が来ていることを奏に気づかせようという、わざとらしい視線を浴びせられている。

 会場で名前を呼ばれるたびに奏は、もう戻れないところまで来ているのかもしれないと、目の前が暗くなった。しかし、あと数日でこの仕事から足を洗うのだから大丈夫。そう心の中で言い聞かせながら、不安の中で笑顔をつくり続けていた。

「ねえ、あなたが棚絵さん?」

 いいえ、違います。そう答えたい衝動を抑えながら、奏は笑顔を張り付ける。声をかけてきたのは、50代の活発そうな痩せた女性だった。ベビーピンクの、ラメのドレスを着ている。奏は視界の端で相手の胸元の名札をチラリと見ると、少し大げさに反応した。

「まあ、森井先生! 本日はありがとうございます」
 先生。そう呼ばれた女性は、さも満足げに微笑む。
「普段は電話だけだから、なんだか不思議な感じよね」

 担当の営業社員とじっくり話すことで緊張をほぐしたいという欲求が、招待客の過半数から奏に向けられている。真美術出版舎ではこういったイベントの場を除き、一顧客に対して1人の社員が営業からアフターフォローまで担当しているためだ。安心したいと言えば聞こえはいいが、招待客たちはあわよくば普段の営業電話と同じように、誉められたくてウズウズしている。
奏は受け答えを約8秒と決めていた。作業の邪魔にならず、相手もそれなりに、忙しい奏を独占したという優越感を得られる時間を、社内でシミュレーションを行って何度も測った。その平均がこの数字だ。相手の話は聞かず、ただ笑顔で頷く。腹の中でゆっくりと8まで数えてから、こう切り出した。

「ところで先生、お席はもうお決めになりましたか?」

 返ってくる答えは人それぞれだ。それが何であれ奏は2秒ほど聞くと右手で誘導しながら一緒に移動する。適当な席まで案内し、先客に紹介する。手掛けているジャンルが違ったとしても、彼らには表現という共通点がある。奏は2秒ほどその場に留まって会話をつなぐと席を離れた。その際添える言葉は4パターンを用意していた。

「またのちほどお話を聞かせてください」

「どうぞごゆっくりお楽しみください」

「主役の先生(あなた)もいらしたことですし、そろそろ始めます。少しだけお待ちください」

「あ! ちょっと失礼致します。慌ただしくてすみません」

 電話営業をしたときの内容を懸命に思い出しながら、相手によって使い分けた。

 全員に対してそれぞれを特別扱いしながら、周囲からはそう見えないように。

 奏はただでさえ人が大勢いて四方八方で会話が飛び交う場が苦手なのに、今日はほぼ全員と接しなければならない。神経が張りつめて、首の後ろから肩甲骨にかけての筋肉がギリギリと痛んだ。緊張から時おり頭の中が真白くなりそうだったが、一方で心は冷え冷えとして、すべてが他人事のようだ。

 40万円、40万円、40万円。

 奏は腹の中で繰り返しながら、顔面に笑みを張り付けた。

 そして先の4種類の言葉を注意深く選びながら提供する。もっと自分だけにかまってほしい人にも、安くはない 参加費を払ったという意識が不満の引き金になりそうな人にも。「賞」だの「特別」だのと煽てられて来たものの、自分は大勢の中の1人でしかないとわかって不安になりかけている人にも。また、自分が背中を見せることで育てている新人、あるいは孫のようにかわいい営業担当者の顔を立てる意味で参加しただけだと責任転嫁している人にも、この言葉は対応できる。

 この懇親会費は、展覧会への出品とセットで10万円。まだ参加者は知らないが、1週間後には彼らに対して記念画集への掲載を1ページ30万円で売る手はずが整っている。10万円が40万円に育つかどうかは、今日の満足度が左右するといっても過言ではない。

 多かれ少なかれ、人は誰もが顕示欲を持っていて、その傾向はおおまかに4種類に分けられる。奏たちはそれぞれに対して、相手の存在を認めて肯定し、自分は人として大切にされていて、世間的にも芸術家として特別な存在だという実感、つまり相手の「自己重要感」を売っている。

 開場から15分ほどで、ようやく全員が席についた。奏たちは配膳係りの人と一緒に、全員のグラスに乾杯用のスパークリングワインを注いだ。アルコールが飲めない人にはソーダか炭酸アップルジュースから選んでもらい、飲めるくせに遠慮している人には、できるだけスパークリングワインを勧めた。

「貴重なパーティですので、できましたら。皆さんも召し上がっていらっしゃいますよ。是非」

 この台詞は、相手のプライドをくすぐりながら集団行動を乱す行いを抑止するために、黒澤と奏が考えた。事前の打ち合わせで、社員だけでなく配膳係りの人にも言ってもらうことにした。最後に「是非」を付けさえすれば、それ以外のキーワードは、どの順番でもいい。奏は相手によって「貴重」を「公式」と言いかえた。

 黒澤は会場を見回すと、マイクに向かった。フレームの細い眼鏡をかけた30歳そこそこの男だ。ふっくらとした童顔なので、どこかスーツに着られている印象がある。一見しただけでは社長だとわからないだろう。

「本日はお忙しいところ、真美術出版舎主宰、アールヌーベルヴァーグ展~燦~のレセプションパーティにご参列をいただき、誠にありがとうございます。本日は、世界的に著名な美術家の方々や、新進気鋭の作家の方々、50名ほどにお越しいただいております。また、評論家の佐藤正先生、岸田真一先生にもお越しいただいております。真の価値を提言していらっしゃるお二方ですので、お集まりいただいた作家先生の中にも、すでにお作品を介して感性の交流をしておられる方が、少なくないかと存じます。本日は是非、豊かな時間をお過ごしいただければ幸いです。それでは洋画家の佐伯利通(さえき としみち)先生に 乾杯をしていただきましょう。皆さん拍手でお迎えください。佐伯先生、よろしくお願い致します」

 マイクと客席の中ほどに立っている奏に、黒澤が目で合図をする。奏が右手で促すと、最前列のテーブルから、白いハットを斜めにかぶった60代前半の男性が、さっそうと歩み出る。背筋がまっすぐに伸びて、ブルーのピンストライプのスーツを上品に着こなしている。場馴れしているのだろう。緊張している奏とは違い、佐伯は身のこなしが自然だ。スタンドマイク横の小さなテーブルには、シャンパングラスが用意してある。佐伯の移動に合わせて、真美術出版舎の浜元桔平はまもと きっぺいが、ボトルの栓を抜く。

 マイクの前に立つと、佐伯は笑顔で言った。

「只今ご紹介に預かりました、佐伯です。なぜか僕は、こういった席でよく乾杯の音頭をとるように言われます。先日、迎賓館で行われた授賞式でもそうでした。こういった場に居合わせるアーティストというのは、限られていますから、本日も他のパーティで頻繁にお見かけする方が少なくありません。まあ、僕のことはいったん置いておくとして、才気あふれるアーティストが一堂に会する場というのは、それ自体が最高の美術作品であると僕は思います。そして、先ほどまでの雨とはうってかわって、この場を照らす輝かしい光はどうでしょう。いみじくも今回は『燦』ということで、まるで美の女神の愛が燦々と降り注がれているようではありませんか」

 奏が何気なく窓の外を見ると、庭園の樹の葉先に残っている水粒が、キラキラと輝いている。手元に視線を戻すと、グラスの中の気泡も、光を拡散させながら、奏の手元でパチリ、弾けて消える。

――いけない。

 日常生活を送る上でも、視界の端に何気なく宿っている美しさに気づくと、その瞬間に心が無防備になって隙ができる。奏は周囲に気づかれないように手の甲をつねった。佐伯の挨拶は続いている。

「また、本日も国際的にご活躍されているアーティストの方々がたくさんいらっしゃいますね。実は、僕は今度フランスのさる評論家の推薦である賞を受けることになっています。聞くところによると今日ここにいる中からも数名、受賞することが決まっているようです。そこで本日は、フランス語で乾杯の音頭をとらせていただきます。皆さんもご一緒に、ア・ヴォートル・サンテと天に向かって乾杯致しましょう。では、ア・ヴォートル・サンテ!」

 奏は適当に口を開けながらグラスを少し上げた。申し訳ないが、大勢が一丸となって声を上げる場面が気恥ずかしくて苦手だ。乾杯の声はバラバラだったが、笑い声が起こった。佐伯も満足そうに笑っている。奏は素直に「みんな楽しそうでよかった」と思うと同時に、「この役を佐伯に満足してもらえているようで、よかった」とも安堵する。佐伯はこの役を40万円で買っているのだ。

 5分ほど経ってから、黒澤がマイクで自由に席を立つように勧めた。しばらくすると佐伯が席を立ち、会場をゆっくりと歩き回る。奏は佐伯に声をかける。

「先生。ありがとうございます。やっぱり佐伯先生のような方に乾杯をしていただくと、場の輝きがグッと増しますね」

「いやいや、ただの年の功だよ。こういうパーティでも日本人は決まった席にジッとしてなかなか動かないから、僕が先陣を切って動いてあげないといけないと思って、こうしてウロウロしているわけ」

 奏に、横から女性が無言ですり寄ってくる。化粧気のない40歳前後と見受けられる女性。長い黒髪を中央で分け、足首まであるブルーの絞り染めのコットンワンピースを着ている。左の肩に、大きなブルーの花のコサージュを飾っている。

 かわいい! 奏の心はそう感じたが、素直に言葉を発するのはためらった。いつからだろう? 人前でする発言を厳選し、頷くポイントや表情に気を張り巡らせるようになったのは。それはすべて、足元をすくわれないための警戒心によるものだ。一方で、いつまで奏の心は、素敵だと感じるものに無防備に反応してしまうのだろうか。無邪気な感性など、この道を歩く上で邪魔でしかない。

 奏は先ほどと同じように、相手の胸元のネームプレートを横目で確認すると、大袈裟な声を上げた。

「まあ、中園先生!」

 そう呼ばれて中園万里子は、奏の顔を照れくさそうに見上げる。

「あなたが棚絵さん?」

「はい、さようです。初めまして、とご挨拶するのもおかしな感じが致しますね。いつも先生にはお世話になりまして」

「いえ、こちらが勉強になることも多いので助かっていますよ。こう言っては失礼だけど、棚絵さんはお若いのにしっかり情報をもっていらっしゃいますよね。海外の美術団体のことだとか、日本の美術界の状況だとか。いつもお話していて感心しているんです」

「そんな、恐れ入ります」

「この仕事は、どのくらいしていらっしゃるんですか」

「まだ3年ほどです」

 奏は咄嗟に嘘をつく。正直に1年半にも満たないと言えば、これまで専門家の一員然として騙ってきた営業文句に説得力がなくなるだろう。さらに言えば、奏は専門的に美術を勉強したことがなく、趣味で何度か美術館を見て回った程度の素人だ。それにしては、奏は中園に対して、これが海外の美術団体の見解だと断言することが多く、彼女から引っ張り出した金額は大きすぎる。

 中園は具体的な情報を聞き出そうと、踏み込んでくる。

「大学でも専門的にお勉強されたのでしょう?」

「そうは言いましても、周りから振り落とされないように、必死に齧りついていた程度です」

「大学はどちらへ?」

 奏は照れ笑いをしてみせた。素性に関する具体的な質問はされたくない。顔と名前を憶えられるだけでも嫌なのに。

「教育に対しては、両親にずいぶん力を入れてもらいました、というお答えだけでよろしゅうございますか」

 照れ笑いが通じなかったら、少し真剣な表情でこう言うつもりだった。団体に所属している年数でも権力者とのコネクションの有無でもなく、作品に宿っている精神性だけが評価されるべき芸術の前に、出身大学の名前は重要ですか?

「なるほど」

「でも、あんなに一生懸命勉強したことが先入観につながり、美に対する目を曇らせてしまっていたと理解したときは、衝撃でした。両親には申し訳ないのですが、私にとっては、数年間学んだことよりも、世界的な評論家の方々との勉強会で得た学びや、中園先生のお作品から教わった芸術性のほうが真の価値を持つと理解できている、今の自分を誇りに思っております」

 中園は納得こそしていないだろうが、面と向かって言われる誉め言葉に、にわかに満足したようだ。つと、媚びたような視線を佐伯に向ける。奏は中園を佐伯に紹介した。

 それから1分も経たずに奏は、別の作家に話しかけられる。今度は40代の男性作家だ。同じようなやり取りをして、奏は頃合いを見ながら、その男性作家を佐伯に紹介する。

 奏に声をかけているからと言って、みんな会話し続けることが目的ではない。普段電話し慣れている奏に著名人とのクッションになってほしいのだ。受付を済ませた後に、奏が席に案内する必要があったのと同じだ。全員に対してそれぞれを特別扱いしながら、周囲からは決してそう見えないように、淡々と作業をこなす。

「評論家の佐藤先生とはもうお話しになりましたか? 岸田先生とはいかがです?」

 紹介先は佐伯や黒澤のこともあったが、たいていは2人の評論家に矛先を向けた。評論家の2人には、この分の謝礼を10万円ずつ支払っている。奏の顔面には笑みが張り付いていたが、背中にはグッショリと汗をかいていた。
遠くの席で拍手が起こる。振り向くと、佐伯が音頭をとっていた。おおかた輪の中の誰かが他社で「賞」を買い、それを聞いて祝ってでもいるのだろう。

――この人の幸せにつながる仕事をしよう。

 先日、帰宅途中の電車内で見て以来、あの吊り広告の言葉が何度も目の前を過ぎる。もう少し。あと少しで、この世界から足を洗える。深く息を吸い込みながら、奏は自分に言い聞かせた。奏の意識は徐々に、拍手の音に集中していく。

■受賞歴の値段

 詐欺師になる前の約10カ月間は、開かない眼で泥水をすすって生き延びているような毎日だった。

 19歳の6月初頭。奏は急きょ大学を休学し、留学先のニューヨークから帰国した。東京都世田谷区池尻にある実家で、母と2人で暮らすことになったのだ。すでに父は家を出て行って、約6千万円ある借金を返済するべく働いているとだけ聞いた。

 自己破産をしない理由は、母方の祖父から引き継いだ実家が担保になっていることにあった。事業を拡大する前は仕事場でもあったこの家を、手放すくらいなら死ぬと言って母が譲らないらしい。また、自己破産したと周囲に知られることはないと言っても、狭い世界のこと。同業者にもお客様にも、いずれ噂が耳に入るだろう。そうなると仕事を頼んでもらいにくくなるというのが、父の考えだった。再起を図りたい父も、自己破産は避けたいのだ。

 それが時間稼ぎに過ぎないと、どこかでわかっていながら他の仕事をしているのか、それとも本気で他に助かる道があると信じているのか奏にはわからなかったが、両親に大学の費用を出してもらえなくなったことと、これからは働いて家にお金を入れる必要があることは理解できた。大学には残りたかったが、奨学金についてネットで検索すると、結果的に数百万円の返済に苦しんでいる人の話ばかりがいやに目に付いた。そのため奏は申請を躊躇った。また、条件を満たしていないため、給付型の奨学金は受けられない。

 出版社やウェブメディアを希望していた奏がすぐにアルバイトを始めたのは、六本木にあるウェブサイトの運営会社だった。卒業後は正社員になることを前提としたアルバイトで、まずはその試用期間が3カ月あった。

 正社員といっても、「自分で仕事をつくり出すことのできる個人事業主の集団に加わるのだと考えてください」。面接の日にそう聞いた。人数は10人ほどで、主に企業のホームページの制作、運営と管理を行っていた。クライアント各社の広報から届くリリース文をサイトにアップしたり、商品を作っている所に取材に行って記事にしたり、商品を使った感想を記事にしたりする部署での編集アシスタントが奏の役割だった。日々の仕事は雑用を中心に、編集者からメールで届く原稿やクライアントから返信されてきた確認後の原稿を、誤字脱字などをもう一度チェックしてからサイトにアップする。

 記事は1日に10本ほど。ときには取材に同行させてもらうこともあった。会社では案件ごとにチームがあった。メンバーはそれぞれ違う組み合わせで仕事をしていたが、奏は野見山健吾という、キツネを思わせる顔立ちの社員の下で、野見山が担当している案件を通して仕事を教わっていた。奏は留学していたことから、英語力と思考の柔軟性や行動力を見込まれての採用だった。

 しかし、いずれも教育係りとなった野見山に期待されていた水準ではなかったようで、仕事の遅さなども含めて毎日叱責され続けていた。早朝から夜遅くまで働いていたが、睨まれて叱責されればされるほど、相手の言葉が頭に入らず、仕事の精度は著しく低かった。毎日、遅れている仕事について「どうするの?」と、電話が何度もかかってくる。叱られることに時間をとられて、実際に仕事に手を着けるのが夕方からになる日もよくあった。

 原因の1つに決定権のある社員と連絡がつかないこともあったが、正直にそう言えば、「それでも捕まえるのが仕事だ」と返された。さらに、奏の状況を野見山とともに把握するために、業務フローを表にして提出するよう命じられるなど、突発的な仕事が数珠つなぎに起きた。始業は10時からだが、7時にはそれぞれの担当者から見計らったようにメールが届き、その数は20通に上った。

 上司に確認しながら対応しているうちに、本来なら今日しなければならない作業に手を着けるのが遅くなる。夜中まで掛かって作業をすると、明け方に「もう1つ」と仕事が追加され、また他の仕事が遅れる。その繰り返しだった。奏に話しかけてくれる社員もいたが、楽しく話していると必ず野見山が目をつり上げて奏を睨みつけながら横を通り過ぎていくので、奏は他の社員と話しづらくなり、社内でも徐々に孤立していった。

 野見山からは、業務に関する叱責だけではなく、例えば「この程度の仕事なら、もっと若い学生アルバイトを雇ったほうがいい。棚絵さんの年齢では、もう宴会に花を添えることすらできないくせに」だとか、「僕の時間を奪うことは、僕の命を削ることと同じだ。今まであなたの周囲には、こういう指摘をしてくれる人がいなかったのでしょう。残念な人生だ。老婆心ながらこの場合、指摘してくれた相手に感謝するのが普通ですよ」など、人間性をえぐるような発言をされ続けたが、その会社は奏にとって初めて働いたところだったので、彼の厳しさが社会では当たり前で、すべて自分の至らなさに原因があるのだと思い込んでいた。実際に、就業状態について、奏が野見山の上司にあたる高島に相談した直後、野見山から「仕事に対するモチベーションについて、相談させてください」というメールで呼び出され、こう言われた。

「高島さんから聞きました。棚絵さんに負担をかけすぎなんじゃない? って心配していましたよ。高島さんとは面接のときに話していらっしゃるし、今回の件も相談しやすかったのだとは思いますが――これは棚絵さんのためにあえて言わせていただくのですが――社会の筋として、まず教育係りを任されている僕を通してほしかったですね。そして、メールに書かせていただいた通り、今日は棚絵さんの仕事に対するモチベーションについて相談させてください。誤解を恐れずに、あえて忌憚なく言わせていただきますが、もしかして棚絵さんはビジネスタイム、つまり契約している就業時間だけが仕事だと思ってます? お互いの今後のために正直に言うと、基本的に編集者やライターなど、メディアに関わる人間の多くは、休みはないと思って仕事をしていますよ。例えば文章を1行書くとして、物理的には1分もかかりませんよね。でもその文章の背景、因果関係、事実関係、単語の正しい意味など勉強する時間は書く何十倍も必要です。ましてや取材を基にその1行を書く場合は、事前に取材先やインタビュイーについて勉強しておくなんて当たり前ですよね。30分程度の取材だとしても、その人はもちろん関連する人の著書を読んだり、周辺情報を集めて頭に叩き込んだりする。事前に質問案を作って相手に展開するためには、頭の中で取材をシミュレーションして、原稿もあらかた頭の中で書いておく。こんなことは言うまでもないことです。そして、その1行を採用するかどうかを判断する場合も同じように、いや、書く以上に勉強した上で、根拠を明確にしてから判断しますよね。つまり棚絵さんの状態は、この業界では当たり前のことで、これを何十年も続けていくのが普通です。プロジェクトを何本も並行して抱えるのも普通ですし、また、自分で仕事をつくり出すためには、平行して企画提案のための情報収集もしないといけませんよね。今回、高島さんに棚絵さんが相談したと聞いたとき、僕は正直とても残念だなと思ったんです。考え方が甘いし仕事に対するモチベーションが低いなって。それと、僕の伝え方が悪くて理不尽に感じたようですが、上司や先輩から理不尽なことを言われるのも、社会では当たり前に起こります。これは棚絵さんが別の会社に行ったとしても、基本的には同じだと思いますよ。ブラック企業やパワハラとだと誤解されてはいけないので、これはあくまでも善意による個人的なアドバイスだとお断りしておきます。もしちゃんと早くお家に帰って休みも十分にほしいようでしたら、単純作業やパートタイムなど、就業時間に明確な区切りのある、別の仕事を選ばれたほうが棚絵さんのためにいいのではないでしょうか。僕は、棚絵さんが正社員として共に仕事をしていくことを前提として今このチームにいるので、あえてここまでお話ししています。棚絵さんはなぜ僕たちの会社を希望されたのですか? 今ここで、あらためて聞かせていただけません? また、僕がこういうお話をするのは諫言といって――ああ、いさめる言葉と書くんですよ。正しくは目上の人に対して使う言葉ですが――要するに、普通なら感謝されるべきことなんです。今まで棚絵さんには、こういう諫言をしてくれるような相手がいなかったんでしょうね。学生時代の友人も含めて、上辺だけで人と付き合ってきたんでしょうね。今もほら、『すみません』ではなくて、普通は感謝の言葉を言うものですよ。僕だってわざわざ自分の仕事をストップして、実力もなく、いつまで続くかもわからない試用期間中の人に、こんなことを言うためにエネルギーを使ういわれはないんですよ。一方で、棚絵さんの少し後に入ってきた鈴木さんは、もっと早い段階で『このスケジュールでは無理です』とか『現状ではこれ以上仕事を引き受けられません』と自分から言ってくれましたよ。そうしてくれればこちらも対応できるのに。そもそも棚絵さんは、このスケジュールで納品できると考えていたんですよね?」

 確かに奏は、「限られた時間の中で記事を完成させるためにはどうすればいいだろうか」と、泣きながらそればかり考えてきた。しかし「無理だ」とすぐ断った人間のほうが正解だと言う。その事実は衝撃とともに奏の心を砕いた。

 進捗が遅れたのは奏だけの責任ではない。野見山は急ぎの連絡を何度も無視したくせに、現行プロジェクトと関係ない客からの相談を相手が諦めるまで無視し、奏が伝えていないと客に誤解させて信頼関係を崩したくせに、自分が夜中2時半に仕事を追加してきたくせに、その上こんなふうにハシゴまで外すのか。

 みるみる目の前が暗くなり、周囲から音が消えた。奏は、2カ月を過ぎたあたりで本格的に体調に変調を来たした。なだれ込むように迎えたお盆休みは、寝込んでいるだけで、墓参りにも行かないうちに終わった。連休が明けると奏は、逃げるように会社を辞めてしまった。自分の心の状態はさておき、野見山の指摘は的確な内容が多いと理解しているだけに、奏にとってそれは大きな挫折となった。

 さらに、当初は休学していただけの大学も、この時期に辞めてしまった。母である佳澄から毎日のように、体調が回復したらこのまま日本で働いてほしいと言われ続けているうちに、心が折れてしまったのだ。すべての状況が落ち着いてから、それでも留学したければ、自分の力で再チャレンジすればいい。それも叶わないようなら、はじめから自分には縁がなかったのだろう。いつの間にか奏も、そう思うようになった。

 朝も夜もなく、ぐったりと部屋で臥せっている間、家の借金を軽くするために帰国したのに、結局は経済的に負担をかけてしまっていることに奏は罪悪感を覚えていた。また、野見山に言われた言葉の数々がなお鮮明に蘇り、昨日よりも強い挫折感を味わうために生き続けているような気分だった。
佳澄は1週間に1、2度おかずをまとめて作り置き、奏が好きなときに食事ができるようにしてくれていた。雄一郎からは頻繁に電話がかかってきたが、その度に奏は父からの連絡を丁重に拒否した。

「大丈夫だから。今はちょっと体調を崩しているだけ。初めて働いたのが多忙な所だったから、身体がビックリしているんだと思う。迷惑をかけて申し訳ないけど、もう少しだけ休ませてもらって、その後はちゃんと働くね。だから、ある程度、返済の目途がつくまでは、どうか連絡してこないで。じゃないと甘えて、家のことからも逃げ出してしまいそうだから」
 両親に同じことを繰り返し伝えているうちに、雄一郎もしぶしぶ納得したようだった。「ちゃんとお母さんと相談しながら暮らすように」と言い残し、奏宛てに電話をしてくることがなくなった。

■騙り営業

 3月1日。奏は晴れて真美術出版舎の社員になった。

 始業は10時から。自宅から会社までは1時間ほどかかるので、9時には家を出なければならない。朝の弱い奏はいつもギリギリに家を飛び出す。確か面接の日は駅から10分ほど歩いた。記憶を遡りながら前回と同じ道を辿る。商店街は前回よりも買い物客の姿が多く、昭和の雰囲気に満ちた喫茶店はドアの奥に人の気配がした。こじんまりした花屋の中では店員が花束を作っている。小さな公園には犬をつれたお爺さんがいるだけで、他に誰もいない。まだ実感が湧かないが、いつかこの風景が馴染むときが来るのだろう。

 マンションの階段を上ると緊張し始めた。インターホンを押すと、前回と同じリンゴスターに似た男性が迎えてくれた。

「今日からお世話になります、棚絵です。よろしくお願い致します」 奏が 頭を下げると、リンゴスターも頭を下げた。

「野辺です。よろしくね。今日はとりあえずこれをはいてください」

 そう言うと、どこの家庭にもあるような、パステルピンクのチェック柄のスリッパを勧めた。来客用なのだろう。

 キッチンのテーブルの上には印刷会社の名前入りのカレンダーが無造作に置かれていた。シンクの前では背の高い男性が、少し背中を丸めて煙草を吸っていた。耳の後ろで束ねている髪は癖が強く、まるでブロッコリーのようだ。

「初めまして、棚絵です。よろしくお願い致します」

 奏がそう言って頭を下げると、その男性も名乗った。

「あ、どうも、よろしくお願いします、浜元です」

 少しだけトーンの低い関西弁だった。

 社員は32歳の野辺誠のべまことと27歳の浜元桔平、社長の黒澤敦志の3人だ。昨年の春に黒澤が同業他社から独立してこの会社を立ち上げたとき、小中高と同級生だった野辺を大阪から呼び寄せたという。夏にはさらに地元の後輩である浜元を呼び寄せ、3人体制になった。

 野辺は浜元を「ハマちゃん」と呼び、彼に話しかけるときは完全な関西弁に戻る。親しげな雰囲気が滲み出ている。2人とも営業マニュアルが染みついていたり表裏があったりするような人たちではなさそうだ。絶対に仲良くならなければならないという無言の重圧も感じなかった。

 奏は奥の部屋に通された。2つの部屋の仕切りを外して1部屋にしている。合計で13畳前後というところか。キッチンと同じように、さっぱりと整った、明るい印象を受けた。必要なものだけが選ばれているようで、無造作に積み上げられている雑誌とペンも、どこか様になっている。そこは営業部と編集部になっていた。奏と浜元が企画営業を担う。野辺は入金確認や書類発送といった事務を主に担当しており、画集の編集は黒澤がしているそうだ。

 黒澤の机は部屋の奥に独立していて、部屋の中央には机が4つ集まっていた。野辺と浜元が隣り合わせに座っていて、浜元の正面が奏の席だった。それぞれにパソコンと電話機が1台ずつ引いてある。

 本棚には初めて目にするような美術関係の月刊誌が、厚さ5センチほどのものから薄い冊子まで並んでいた。ざっと見たところ5、6種類だろうか。すべて半年分ストックしているという。他にも営業資料として、美術家の名前はもちろん住所や電話番号といった個人情報が掲載されている年鑑や画集、公募展の名簿が10冊以上あった。名簿は、公立美術館で定期的に開催される展覧会場で、参加している美術団体が無料配布しているそうだ。奏と浜元はそこに載っている情報を基に電話をかけていく。

 野辺は面接のときと同じパンフレットを奏の前に開いた。

「棚絵さんには、しばらくこの画集の参加者を集めていただきます。といっても電話をかける相手はほとんどがこういうことに慣れている人です。まったく何も知らない人を相手にイチから説明していくわけじゃないので、安心してくださいね。この前見てもらったウチの画集に参加してはる人もいるし、多かれ少なかれ他の会社の同じような企画に参加したことのある人たちなんです」

 営業する企画は今のところ年に3~4件。画集の出版と展覧会があって、それらはすべてに主催する海外の美術団体があり、中心となる評論家たちがいる。面接のときに名前が出たジェイコブ・マルコビッチを中心とした、会社が特に懇意にしている数人の評論家がレギュラーで、他のメンバーは企画ごとに入れ替わるそうだ。

 美術評論家というと奏は椹木野衣しか知らない。高校生の頃に友達と行ったギャラリーの売り場で、表紙に惹かれて買ったのが、彼の現代美術に関する著書だった。それを1冊読んだことがある程度で、それだって難しく感じて何カ月もかかった。あらためてパンフレットを見てみても、そこに載っている外国籍の評論家など初めて目にするものばかりだった。

 ああ、もう1人知っていたか。野見山の父親が、高名な美術評論家だと社内で聞いたことがあった。野見山と打ち解けようと苦心していた頃、その話を振って失敗したことを思い出した。

「野見山さんのお父様って、高名な美術評論家なんですってね、すごいですね」。奏が無邪気にそう言うと、野見山の目が鋭く光った。「へえ」と、口の端にイラだったような笑みを浮かべて、いつもに増して奏を睨みつけながら言った。

「すごい? 何が? 棚絵さんはそういうのにも、興味があるの?」

 きっと、触れてはいけない話題だったのだ。動揺から、奏の返事は歯切れの悪いものになった。

「あ、はい。その、高校生の頃に、友達とギャラリー巡りをするのが趣味だったんです」

「へえ、誰のファンなの?」

 奏が好きな美術家の名前をあげようとすると、野見山は続けた。

「いつ頃の、何という作品が好きなの? また、その理由はなぜ?その人に影響を受けた作家もいるんだろうか」

 答えられない奏を、野見山は鼻で笑った。

「遊びで見てるだけじゃ、雑談の役にも立たないよね。あんたのために言うけど、他人のプライバシーに立ち入って行くなら、せめてそれなりに話せるようにしておかないとダメでしょう。そもそも何のためにさっきの話題を振ったの? 僕がわざわざ質問してあげたって拡げられないんじゃない。へえ、ああそう、で終わる程度のことじゃないですか。だからあんたはダメなんだよ」

 思えば野見山の厳しさが増したのはこの直後だった。1つの断片から連鎖して、記憶が噴き出してきそうになる。奏は固く目をつぶると、頷くふりをして頭を軽く振った。でも、確かに野見山の言う通りかもしれない。これからはちゃんと身に付くように勉強しよう。

 黒澤が出社すると、パンフレットを基に企画や営業方法について簡単なレクチャーを受けた。

 画集のタイトルは「アールヌーベルヴァーグ~日~」。予定されている装丁は実に豪華なデザインだった。製本後は奏でも聞いたことのあるような世界各国の有名美術館へ寄贈される。売上金と作家が参加する際に支払う協賛金から一部をチャリティに充てるべく、「絆」をテーマに参加者を募っているという。

 参加が決定した後は、作家側で作品をデジカメで写したデータ、あるいはポジフィルムを郵送してもらう。ふと奏は違和感を覚えた。以前テレビで見たある現代美術作家のドキュメンタリー番組では、画集を作る際、プロのカメラマンがライティングにずいぶんと配慮しながら撮影し、デザイナーなどの制作スタッフも色味などを何度も調整していた。データを印刷所に入稿した後も、印刷所から色校正という実際の紙に刷られたサンプルが届き、作家本人はもちろん制作スタッフが入念にチェックしていた。

「こちらで作品を撮影しなくていいんですか?」

 奏の疑問に、黒澤が答えた。

「いいんです。僕たちは基本的に、別の画集や雑誌に掲載経験のある作家に声をかけていきます。なので、すでにプロが撮影したデータを作家が持っている場合がほとんどなんです。それに、所属している団体の展覧会図録に掲載するため、作家側で撮影を済ませている場合も多いんですよ」

「そうですか。二次使用という形ですか?」

「そうです」

「あ、そうするとコストが抑えられますね」

「そう。さすがですね。では、話を続けますね」

 そう言うと黒澤はレクチャーを続けた。美術家と電話がつながったらまずは「受賞おめでとうございます」と伝えるように言った。そして次にジェイコブ・マルコビッチの名前を出して、彼があなたに大変注目しているので是非このアールヌーベルヴァーグ国際名誉賞を受けて画集に参加してほしいと営業するように。

「わかりました。これってつまり、自費出版なんですかね?」

 奏がそう聞くと、黒澤は野辺と顔を見合わせて苦笑した。

「まあ確かにそうなんですけど、自費出版っていう単語は絶対に口にしないでくださいね」

 どこか癪然としない奏に、黒澤は言った。

「どの出版社でもそうですが、本を作るには製作費がかかります。特にこの画集は評論文もつくので高額なんです。作家が掲載料を負担するのはよくあることなのですが、相手はいかんせん芸術家なので、プライドが高いんです。誤解を恐れずに言えば、自費出版というと、お金さえ払えば誰だって、どんなに下手くそなものだって本になるという印象を受けるでしょう。そう聞くと誰だって気持ちが萎えちゃいますよね。棚絵さんに電話してもらうのは、わざわざ選ばれた受賞者なのですから、この辺りの表現は丁寧にしてください」

「私が電話するのは、受賞者なんですね」

「ええ、そうです。この本棚にある資料に乗っている人たちは、ほぼ全員が受賞者で、基本的には誰に電話してもらっても大丈夫です」

「この、マルコビッチさんは、どこで賞を与えるんですか? よく新人賞とか何か、授賞式の写真をニュースでも見ますが」

「この賞は特に授賞式はないんです。その代わり受賞者だけで画集を作ります。それをもってお披露目となるんです。ああ、そうだ、医学とかで『学会に発表する』って聞いたことがありませんか?」

「あります」

「あれは、ある場所で学会が開催されて、そのときに会場の壁にポスターで掲示することも、発表したことになりますし、学会誌に掲載したことも、発表したと言うんです。それと同じです。この本棚に並んでいる本は学会誌という位置づけだと考えてください」

「わかりました」

「また、本来なら画集に作品を1点掲載するのに45万円かかるところを、先生の場合は助成金が出るので、特別に1ページ30万円ですって伝えてください」

「はい」

 奏が知らなかっただけで、そういう仕組みが普通なのかもしれない。奏がパンフレットを見直していると、黒澤は本棚から厚さ5センチほどの美術誌を抜き取った。パラパラと開く。

 つと、ある洋画に目を留めた。

「お、佐伯また出とるやん。最近あんまり見いひんかったのに、復活したんやな。ほらハマちゃん見てみい。佐伯利通、また出とるやんけ。言うたやろ、この人は太客(ふときゃく)やって」

 雑誌を見せられた浜元は、別の雑誌を数冊広げているところだった。顔を上げる。

「何回も電話したんですけどね。その企画を受けたからお金がなくなったんちゃいます?」

「ホンマか? ほなら俺が行ってみようかな」

 広げた雑誌の中央に、クリスタルでできた虎の文鎮を置くと、黒澤は奏に操作方法を説明しながら、パソコンの共有ファイルを開いた。パスワードは簡単なもので、中には名簿などのデータベースがあった。名前や企画名など特定の条件で呼び出すと、状況がつぶさに把握できる。雑誌に大きく載っていた佐伯の名前を検索欄に入力すると、佐伯が過去に参加した企画や支払状況などが書かれていた。企画名はズラリと並んでいる。

「棚絵さん、今から僕がこの人に電話をかけるので、横で聞いていてくださいね」

 そう言いながら電話をかける。

「先生、ごぶさたしております。グローバル・アート出版社でお世話になりました黒澤です」

 独立して会社を立ち上げたことなど、世間話をすると黒澤は本題に入った。レクチャーで挙げたポイントを盛り込みながら作品を絶賛している。もちろん自費出版という言葉は使わずに、助成金が出るとも言っていた。先日行われた勉強会でマルコビッチ氏がどれだけ佐伯の作品を絶賛していたかを横で聞きながら、奏は感心した。

 きっとすごい画家なんだろうな。知らなかったけど、こういう人の場合は自費出版という言い方が失礼にあたるのかもしれない。

 10分もすると電話は切れた。佐伯は30万円を2回に分けて振り込むという。

「やるやんけ。だから言うたやろ、この人はやるんやって」

 そう言うと黒澤は野辺を振り返り、こう続けた。

「のんさん、30万で契約書を送ったって。今月と来月の2分割やて」

「先月まではあれだけ電話してもアカンかったのにな。すごいわ」

「でも確かに前ほどの勢いはなくなったかもしらんわ。分割言うてはるからな」

 その後、黒澤は奏とセールストークを練習した。

 黒澤は、奏のために営業トークの簡単な台本(トークスクリプト)を作ってくれていた。「電話口ではできるだけテンションを上げて明るい声を発しましょう」という一文から始まるその台本は、電話を受けた作家との対話方式になっていた。奏は台本を両手に持ち、作家役の黒澤に向かって声に出して読み上げた。

「おめでとうございます! 今回、黒澤先生は、名誉あるアールヌーベルヴァーグ国際名誉賞に輝かれました」

「そうですか。でも、応募していないので身に覚えがないんですが」

「アールヌーベルヴァーグ国際名誉賞は、展覧会やメディアなど、世に発表されたすべての作品を対象とした国際名誉賞なんです。高名な評論家である、ジェイコブ・マルコビッチ先生を中心とした、フランスのさる美術団体が黒澤先生を選定されたのです」

「そうですか」

「私も勉強会で、美術雑誌(または展覧会)で先生の作品を拝見しましたよ。とても素晴らしい作品ですね。あの作品をつくられた背景にはどのような思いがあったのでしょうか?」

 台本ではこれ以降「自由に、とにかく誉める!」と書かれ、下に「ポイント」としていくつか要点が箇条書きにされている。

・先生にしか表せない、素晴らしい世界観ですよね

・精巧に描かれた風景の向こうに、今の私たちが目指す未来まで描かれているようです

・何とも言えない表情ですね

 何度か会話を繰り返しながら、セリフを奏の言いやすいように変えていく。つかえずに言えるようになると、今度はテーブルの上に積んである美術系の月刊誌の中から最新号を開き、そこに掲載されている絵を誉める練習をした。誉めるポイントに指定はなく、奏が感じたまま自由に表現してよかった。作家は営業をし慣れた人たちから日々たくさん誉められているので、業界に慣れていない奏の視点はより新鮮に受け取られる可能性が大いにある。そのため、怖がらずに感じたまま伝えるように、と黒澤は言った。

「先生の作品を拝見していると、私まで一緒に空を飛んでいるような気分になります」

「豪華絢爛でいて凛としてもいる、こういう建物に住みたいです」

 奏がどんなに子どもっぽい表現をしても黒澤は笑顔で頷きながら聞いた。野見山のように、重箱の隅をつついてクドクドと否定しなかった。練習を繰り返すうちに、奏の心は落ち着き始めた。次第に恐れは消えて、自由に感じたまま口にできるようになっていた。黒澤は、ときどき抑揚をつける箇所などをアドバイスした。奏は台本に、その要点を書き込んだ。

 相手にはマルコビッチの要請で特別に声をかけていると言いながら、実際は社内にある雑誌や名簿を見て、目ぼしい人に手当たり次第に電話をかけていく。対象となる美術家はたくさんの賞を受賞しているにもかかわらず、奏は今まで一度も作品を見たり名前を聞いたりした記憶がない。

 でも、すべて奏が知らないだけなのだろう。

「あのう、先ほどフランスで勉強会があるっておっしゃっていましたよね。定期的にあるんですか?」

 奏が質問すると、黒澤は再び野辺と顔を見合わせて苦笑した。

「ないない。強いていえば今こうして話していることが勉強会です」

 奏が覚えた違和感が腑に落ちるまで、それほど時間はかからなかった。実際には、マルコビッチを始め、パンフレットに一覧されている評論家など誰一人として存在しないのだった。セールストークの内容は営業社員にゆだねられていて、極端な言い方をすれば、売上につなげるために相手を誉めるなら何を言ってもいい。これが不況のただ中にありながら未経験者でも月給が高く、他に能力給まで別途支払われるという待遇のよさの理由だった。

 奏が入社したのは、「ほめほめ詐欺」や「ほめあげ商法」と呼ばれる「騙り商法」を行う会社だったのだ。

 もしかしたらこの仕事って、法に触れることなのかもしれない。

■中園ブルー

 やっと安全な場所にたどり着いたと思った途端、床が腐っていることに気づいたような、えも言われぬ不安が奏を飲みこんだ。

 鼓動が高鳴ったが、すがるような思いもあった。もし法に触れる仕事であるならば、求人情報サイトに堂々と広告を載せるだろうか? 拭いきれない疑惑をおいて、目の前で現実が流れるように進んでいく。

 要約すると、真美術出版舎はアマチュアからプロの美術家を対象にした自費出版の会社であり、パッと見は煌びやかではあるが、美術書としては粗悪ともいえる印刷の画集を制作している。1冊への掲載料は参加者によりまちまちだが、掲載料は1ページ当たり30~40万円。

 問題は、勧める際に相手に自費出版であることは明示せず、海外の賞を受賞したと言って祝う。さらに架空の美術団体の評論家ジェイコブ・マルコビッチなどを騙り、すべてはあくまでもマルコビッチなどの推薦であること、日本政府からの助成金が割り当てられるため対象者は他の参加者よりも費用面で優遇されていると告げることだ。また、この画集の出版は社会貢献事業の一環であるとも謳われていた。確かにパンフレットの隅には小さく、「人物設定・構成および制作:真美術出版舎」と明記されているし、できあがった画集は海外諸国の主要な美術館へ寄贈しているそうだが、実際に郵送するのはパンフレットに記載されている内の半分以下、もしくは皆無といってもいい件数なのだそうだ。

――これは数カ月後になるが、架空の美術団体が主催で展覧会も行われた。会場は安価で借りることのできる公的な会場であるにもかかわらず、参加費用は10~30万円。出展品のサイズは30号までの作品に限られていた。とはいえ、30号と言われても奏にはピンとこなかった。趣味でギャラリーを見て回っていた経験から、サイズを「号」で表すことはなんとなく知っていたが、そのときには、正確な大きさを意識していなかったのだ。

「すみません、30号ってどのぐらいの大きさなんですか?」

「縦91センチ×横60.6~91センチの、縦長の長方形から正方形にかけてのサイズだよ」

「え、横幅が違うんですか」。大変お恥ずかしいのですが、と慌ててつけ加える。黒澤は笑った。

「何も恥ずかしいことはないよ。何でも聞いてくださいね。でも、その辺りは覚えなくていいんですよ。大まかに0号は絵ハガキ、6号はコピー用紙のA3ぐらい、100号ともなると襖1枚半くらいと、頭の片隅においていただければ大丈夫です。というか、別に忘れてもらっても大丈夫です」

 黒澤がパンフレットを閉じるとき、「書」と「水墨画」のページに奏の目が留まった。

「そういえば、絵は今教えていただいた洋画だけではありませんね」

「さすが。その通りです。日本画のサイズは洋画と同じと思ってください。ただ、他に、毛筆と墨汁で文字や絵を描く、書と水墨画という造形美術があります」

 黒澤はそう言って、パンフレットの「書・水墨画」のページを開いた。先ほどとは違い、1行にサイズと呼び名がまとめて書かれている。ただ、行数は多い。最初の行を指しながら、黒澤は言った。

「この表によると、主に流通している規格は19種類みたいですよ。ただ僕たちは、こんなに多用なサイズを扱うことはありません。絵画なら30号が上限だと覚えてもらえれば、それで大丈夫です。書作品でもそのぐらいと伝えれば、相手はこれまでにも展覧会に出したことがある方ばかりなので、どのくらいのサイズを準備すればいいのかわかっていますよ」

「そう言っていただけると安心します」

「まあ、中にはせっかく大作を描いたものだから、それを出展したがる人もいます。でもそのときは、『真の才能はコンパクトなキャンパスに無限の世界を描く』とか何とか、もっともらしいことを言って断ってください。展示スペースには限りがありますからね」

 要するに、30号ぐらいであれば運搬がしやすいし、限られたスペースに効率よく展示できるので、参加者の数を多くできるのだ――。

 話を戻すと、黒澤のように同業他社から独立しては次々と新会社を設立するので、このような騙り商法の会社はいくつもあるそうだ。そのため同時期に複数社と契約している参加者が多い。さらに企画は1社当たり複数あるので、契約から支払開始まで間が空くことや、支払を長期分割する場合もある。

 この日、奏に手本を見せようと黒澤が営業した佐伯も、そのような参加者の1人だった。数年前から半年前までほとんどの企画に参加している。ある時期を境にピタリとどの会社の企画にも参加していなかったが、どうやら最近また始めたようだ。

 たぶん、この仕事は、法に触れる。落胆とも恐怖ともつかない感情に翻弄されていると、黒澤は奏を急かすように笑顔で言った。

「じゃあ、次は棚絵さんが電話をかけてみてね。この中園万里子さんっていう人がいいかな」

 そう言って黒澤は、美術系の月刊誌に掲載されている1枚の洋画を指した。今日はせいぜい黒澤を相手に営業の練習をして終わるのだろうと高をくくっていた奏は、突然そう言われて驚いた。みんなは飄々としたもので、中園の絵が掲載されている複数の雑誌を、奏の前に広げた。

 合計4冊の内3冊に同じ作品が掲載されていた。藍色を基調としたその絵は水のしたたりを描いたものだった。残るもう1作品もタイトルこそ違うが、題材は同じで色使いと構図が似ていた。

「大丈夫、大丈夫。この人は淡々としてるけど、話を最後まで聞いてくれるから。とにかくこのブルーを誉めるといいよ。中園ブルーって呼ばれているっていう前提で話を進めるようにして、とにかく会話につまったら中園ブルーは最高ですねって押せばいいから。それに、この人は普段は会社員をしていて定期収入があるから、例え細かく分割しないと払えないって言われても、気にしなくていいよ。どうしても渋るようだったら3回までは割っていいけど、それ以外は無理ですと伝えれば、すんなり受けるから」

 黒澤はそう言うと、パソコン画面の中園の電話番号を指した。

「これって携帯ですよね。かけちゃっていいんですか?」

「うん、かまわないよ」

「でも、まだお仕事中では……?」

「大丈夫。ちょっとこれを一緒に見ようか」

 笑いながらそう言うと、黒澤はパソコンの画面を奏に向ける。中園の名簿の備考欄を指すと、読み上げた。「スーパー勤務(仕事の話はNG)。平日休み(曜日不定)。早朝~16時半と11時~20時の交代制」

「なるほど、今日お休みかも知れませんものね」

 奏は緊張のあまり自分の鼓動で周りの音が聞こえなくなるほどだった。が、意を決して受話器を持った。手元には営業トークのマニュアルがあり、先ほど何度か黒澤を相手に練習した際に要点を書き込んである。そこに新しく「中園ブルー」と書き込んだ頃、呼び出し音が止んだ。

 30代後半くらいだろうか、思っていたよりも声の若い女性が出た。

「な、中園先生でいらっしゃいますでしょうか」

 奏が口ごもりながら言うと、相手は落ち着いた口調で「ええ」とだけ答える。目の前に広げてある誌面を見つめながら社名を告げ、練習した通りに続けた。

「おめでとうございます! このたび中園先生は、アールヌーベルヴァーグ国際名誉賞に輝かれました」

 数秒の沈黙の後に、中園は抑揚のない口調で言った。

「私は応募した覚えがありせんけれど」

 マニュアル通りの反応だ。奏は先ほどの練習を思い出しながら、セリフを読み上げた。

「展覧会やメディアなど、世に発表されたすべての作品を対象とした賞なんです。高名な評論家なので中園先生もお名前をお聞きになったことがあるかと思いますが、ジェイコブ・マルコビッチ先生を中心とした、フランスの美術団体が選定されたのです」

「そうですか。他の会社さんからも同じように、賞がどうのこうのという電話がかかってきますね」

「中園ブルーは最高ですから、集中されていらっしゃるのですね。私も先生の『遥かより』というお作品を勉強会で拝見しました。その時、マルコビッチ先生は、中園ブルーは現代日本の宝だと目頭を押さえていらっしゃいました」

「そうですか。その先生のことは、検索すれば一般の人にもすぐわかるのでしょうか」

「そうですね」

 奏は言葉につまり、片手でカタログのマルコビッチの顔写真に〇をつけると、その横に書きなぐった。

――けんさくしてでる?

 目の前では黒澤が指で輪をつくり、小声で言った。

「出る。でも、専門家用のページがほとんどです」

 奏は黒澤に言われたまま繰り返した。黒澤は微笑んで、小声で「誉めて!」と言ってくる。奏は手元に広げられた雑誌を見ながら、感じたことを素直に中園へ伝えた。

「中園先生の作品については勉強会でよく伺います。なんと言いますか、シンと静まり返っていながらも、躍動の気配がするというか」

 中園は黙って聞いているだけだったが奏は続けた。ひどく緊張しているのだがその一方で、相手のいいところを見つけて教えてあげたいという思いから言葉が生まれ続ける。

「本当に素晴らしいことです。ジェイコブ・マルコビッチ先生も、いつもそうおっしゃっています」

 ようやく中園から反応があった。

「でも、私は自分の好きな色を使っているだけだから」

 ふと奏は我に返った。いつの間にか数分がたっていた。手先は冷え切っているのに背中に汗をかいている。ひと息ついて目の前のマニュアルに目を落とす。先ほど蛍光ペンでラインを引いたところを読み上げた。

「その、一番シンプルで一番大切なことを今の日本でずっと貫いておられるのは、精神力がいることだと思うのです」

「まあ、そうですね。いろいろ言われることもありますから。でも私は好きな絵を描くだけです。正直に言うと描くことは辛いですが、同時に楽しいことですから」

 奏の目の前に黒澤のメモが差し出された。どうやら営業トークに盛り込めということらしい。奏は読み上げる。

「中園ブルーは、他の誰にも出せない特別なものです。中園先生はもっと評価されるべきというのが海外での評価です。日本において既存の画集は、団体のコネや肩書きで作家の選別を行っていることもあるそうですので、本当の精神性は見ている人の心には残らないでしょう。マルコビッチ先生が、中園先生に日本を変える一翼を担ってほしいとおっしゃっています。そして、それだけの力が中園ブルーにはあると私たちも確信しています」

 もともと口数の少ない中園が再び沈黙したとき、奏はふと、そろそろ話題を支払いに切り替えようと思った。マニュアルの「支払」と書かれた項目を読み上げる。

「画集は日本画、洋画、水墨画と書、そして彫刻で構成され、個別にマルコビッチ先生の評論が掲載されます。そして刊行後は世界の主要美術館へ収蔵されます。中園先生のご参加は、マルコビッチ先生のたってのご希望ですので、他に参加される方とは違って、特別に政府からの助成金が割り当てられます。画集は1冊3万円なのですが、先生には特別に1冊進呈させてください。他の方は1ページ45万円でご参加いただくのですが、中園先生の場合は特別に1ページ30万円でご参加いただけます。どうぞ、よろしくお願いします」

 電話口で中園は小さな唸り声を上げた。奏の頭の中にふと、会ったこともない中園の姿が浮かんだ。ありきたりなワンルームでベッドに腰掛けながら、携帯を耳に押し当てている。奏の言葉を聞きながら、ときおりベッドサイドに立てかけた縦長の鏡に映る自分に目をやる。ジェイコブ・マルコビッチのエピソードを騙っている間と同じように、その光景がありありと見えた。

 奏は手が白くなるほど、強く受話器を握しめながら、続けた。

「中園ブルーは日本の希望です。是非この話をお引き受けください」

「そこまでおっしゃるなら。わかりました」

 中園が相変わらず抑揚のない口調で言った。

「ありがとうございます」

 奏が言うと、目の前で野辺と黒澤が笑顔で小さく拍手をしている。それから奏は中園と分割の回数と支払開始月を決め、それを記入した契約書とパンフレットを郵送するので、署名後に返信してほしいと伝えた。お礼を言って電話を切ると、奏はグッタリと背もたれに身体を預けた。

「素晴らしい。棚絵さんは上手だね」

 電話を終えた浜元も、笑顔で拍手してくれていた。前の会社にいた頃では考えられないことだ。売ろうとしているコンテンツが自分にとって興味のある分野かどうかという違いは、こんなにも結果を左右するのだろうか。

 美術に関しては、特に専門的に勉強をしたわけではない。あくまでも趣味の範囲で、奏は高校生のとき、友達とよく現代美術やファッション関係の展覧会を、美術館や小さなギャラリーに見に行っていた。雑誌やインターネットで関連記事を読んだり、動画を見たりしていた程度で、好きな絵をただ好きだという基準だけで見ていた。そのときに友達と作品のいいところについておしゃべりする習慣があったので、今回の電話営業に生きたのだろう。

 3人の拍手に囲まれながら、奏は達成感と罪悪感の入り混じった、何ともいえない高揚を味わっていた。

( 第2章【契約/捨てる】につづく)

【カタリ】
第1章_才能の値段
第2章_契約/捨てる
第3章_5人のカモ
第4章_ほころび
第5章_歌舞伎町のカタリ
第6章_それぞれの破滅
最終章_棚絵 奏たなえ かな


(撮影/川田雅宏 ヘアメイク/ Kr:tek)



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