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19.自信が無くなり、人も怖くなってしまった


人が怖い

こんな事を言いうと嫌われるかもしれない、
こんなことを思われるかもしれない、
今聞き手が怪訝な顔をしたな、
何か自分は気に障るような事や変なことを言ったかな、等
気付けば人のことが怖くなっていました

また、一人になってから、
いつも自問自答しては、あの時こうしてればよかったと、自分を責めていました

こうした積み重ねで、自分の考えをあまり人に言えなかったり、
そもそも自分の考えに自信を持てずにいました

人と関わることが怖く、嫌われるのが怖かったです

嫌われる勇気や、気にしなければ良いと簡単に言われても、
自分の中で植え付けられた恐怖をなかなか簡単に拭うことはできませんでした

自信が無くなって、人が怖いと感じるきっかけになった出来事について、
振り返っていきたいと思います

自分でも何がトラウマになったのか明確な出来事が何個かあります

大学生の頃、頭の中でだけ整理をしたことはあるのですが、
まだ拭い切れていない物があり、人との距離を取ってしまっています

より客観的に自分自身を振り返る為に、文字で書き出して行きたいと思います

いつまでも引きずっている主な原因は、中学生〜高校生時代の出来事になります

人が怖くなったきっかけ

中学生時代≪勉強面≫

中学受験をして、県では進学校とされている中高一貫の女子校に通っていました

当時、勉強が大嫌いで、体を動かしたり、楽器を弾いたりする方が好きでした
将来の夢なんて無かった為、中学受験や進学校に全く興味がありませんでした

なぜか兄と同じ様に中学受験をさせられる事になり、
今までやっていた習い事も受験に専念する為、全て辞める事になりました

塾に突っ込まれ、周りと同じ様に目標とされている県内の進学校を目指して、
友達と遊ぶ間も惜しんで勉強させられていました。
よくわからないまま勉強し、何に頑張っているのかわからない努力をしていました

そして運良く(今後の自分の人生を思うと運悪く)
県内で1番難関と言われている中高一貫の女子校へ合格し、進学する事になりました

別の学校へ進むという選択肢もありましたが、
受験したいと思った事が無かった為、そもそも行きたい学校がありませんでした

その為、1番偏差値が高いとされている学校に行くことにしました

自分軸ではなく、「偏差値」という他人からの評価で自分の今後を決めてしまいました
間違えた判断をしてしまいました

でも、当時は行けば「合格して/通ってて、凄いね」とちやほやされたくて、
ネームバリューに引っ張られてしまいました

本当に愚かでした

入学してみると、この学校に来たくて受験したという同級生とその親ばかりでした
医者や弁護士、東大に行きたい等、中学生や早ければ小学生から高い目標を持ち、
大学受験に向けて、学校の勉強に加えて塾にも行き、ずっと勉強している人たちが周りに沢山いました

同級生からすると、入学は将来に向けたスタートだったのですが、
自分はひとまず缶詰状態にされた受験が終わり、勉強からの解放感で、
終わった気持ちでいました

また、これまで頑張って来た水泳、ピアノ、習字が受験と共に無くなってしまった事もあり、燃え尽き症候群になってしまいました
何に頑張って良いのかもわからず、そもそも頑張る気持ちにもなれませんでした
毎日朝早く起きて、満員電車に揺られて、学校に行って帰るだけで、
とてもストレスで、毎日へとへとでした

当時、燃え尽き症候群になっている自覚はありましたが、
自分ではどうして良いのかわからず、時間が解決するだろうと、放っていました

けれども、そこから8年間自分のやりたい事が分からず、頑張る方向もわからず、
自分が予想していたよりも長期間解消しませんでした

また、時間が解決するものでもありませんでした

そんな周囲と自分のとても大きな温度差を感じて、中学生時代を過ごしていました

また、成績は相対評価だった為、自分が努力しても、周りも努力をしている為、
あまり結果に反映されませんでした
頑張ったって意味ないんだと、当時の自分は諦める様になってしまいました

自分は頑張っても、どうしようもならない位、ダメな人間なのだと、
どんどん自信が無くなって行きました

そして、受験して入ってくる学校にいたせいもあり、基本的に自分も含め同級生は皆、小学校の頃に頭が良い人達が多く集まっていました

周りからもチヤホヤされていた部分があると思います

その為、わからない、成績が悪い、授業についていけないというのは、
プライドを傷付けられることでもありました

塾で先取りを既にしている同級生がいつも良い成績を取るのが気に入らなかった一部の同級生がさらに塾に行き始め、
年々学校の授業よりも先に習得している同級生が増えていきました

それもあってか、さらに授業の速度が速くなり、
自分は授業についていけない事が増えていきました

学校の勉強は課題がとても多く、テストも沢山ありました

自分の理解と、インプットが追い付かず、どんどん成績も落ち、
さらに自信が無くなっていきました

自信がなくなっただけでなく、そうやってただ目の前のことをこなす事に精一杯になっている内に、
勉強以外他に何もできる時間がなくなり、何が楽しくて、何の為に生きているのかわからなくなってしまいました

中学生時代≪対人関係面≫

元々感受性が高く、繊細で、内向的な性格でしたが、人を安易に信じてはいけないと、人を過度に恐れる様になったのはこの頃からです

目的不明な不要な嘘をつかれたて、人を信用できなくなりました

本当は満点近く取れる程、見えないところで努力を沢山しているのに、

わからないところを聞いても、わかっていても自分もわからないと言ったり、
どうやって勉強しているか聞いても、何もやっていないと言ったり、
本当な陰で寝る間も惜しんで努力しているのに、何もやっていないと言ったり、
努力を隠す必要は無いのに、不要な嘘を付く人間がいることを知り、理解できませんでした

初めはそういった事をしていなかった同級生も影響され、同様の事をする人が増え、
どんどん上っ面だけの会話が増えていく様になりました

同級生は一緒に頑張る仲間ではないのだと、本音では話せないんだと、悲しかったです
また、周りに頭の良い人が多く、素直にわからないと言えなくなって行きました


理不尽な理由で仲間外れにされるという経験も、
人を信用できなくなった要因になりました

今も職場によっては残っている所もあると思うのですが、
女性は群れて「グループ」で行動する事が多いです

中学生、高校生時代、このグループ行動が基本でした
教室移動、お昼ご飯を食べる、行き帰り、土日に遊びに行くのも、行動を共にします
グループのリーダー格が、食堂に行えば、普段弁当派でも、食堂に連なって行きます
トイレに行くのもグループの中の何人かで連なって行くという、謎の文化でした

塾や地元が一緒だった、部活が一緒だったなど、何か側から見える共通項が無ければ、
違うグループとお昼ご飯を一緒に食べているだけで、
別のグループがざわざわしていることもありました

その位、グループの繋がりが強く、1人でいることは寂しくて可哀想な子で、
仲間外れにされる事を過度に嫌う状況でした

高校生になると開き直って、
だんだん行き帰りは、1人で行動する様になって行きましたが、
団体行動が得意では無い自分にとってはとても息苦しかったです

色々と我慢を強いられている環境のせいなのか、
「なんかムカつく」、「なんか嫌い」という理由で、
ある日突然仲間外れにされたり、無視される様になったりしました

そう言った扱いを受ける理由が何も無かったり、仮にあっても何も言われません
改善の機会をもらう事はできませんでした

そうやって、なんとなくムカつくというのをグループの中で共有して、話の話題にし、
自分は嫌いではなくても、ハネにするというのが頻発していました

自分がターゲットにされた際、
何かを気分を害する事をしたのであれば教えて欲しいと言っても何も言われず、
グループ内でこんな反応して来たと、笑い物にされました

それ以来、如何に地雷を踏まないかという事をとても意識する様になりました
また、今は仲良くても、いつかは裏切られるんだろうなと、心から人を信頼する事はできなくなりました

他の同級生や、別の学校の話を聞いて、
自分が経験した物は、いじめというほど過激なものではありませんでしたが、
ある日何が原因かわからず、仲間外れにされるというのは、かなり精神的なダメージが大きく、
人を信用してはいけないとさらに殻に籠る様になってしまいました

また、自分もだんだんと影響を受けてしまったのか、
1度だけ同級生1人をターゲットにして傷付けてしまった事もありました

とても申し訳ない事をしたと、後から何度も謝罪はし、許しを得たのですが、
自分の醜さにも嫌悪感を抱き、自分の事も信じられなくなってしまいました

高校時代≪受験期≫

相変わらず、自分はどこへ向かうか迷子の中、
周りと同じ様に、親に言われる様に、大学受験の為の勉強をしていました
他に選択肢があるという広い視野も持てず、決められたレールを走っていました

この頃には、自分も気付けば、周りに影響されて、
良い大学へ行って、大企業に入れば人生安泰と思う様になっていました

大学とは何をする為の場所かという本質もわからず、
ただ就活の準備として学歴を付けに行く所と浅はかな考えを持っていました

本当に愚かだったと思います

国立理系志望だった為、巻き込まれる事はなかったのですが、
私立文系志望の同級生の争いを見て、恐怖を感じた事を覚えています。

毎年各学科へ数人、早慶MARCHやその他ネームバリューのある難関私立大学へ
推薦で入れる枠がありました

その枠を勝ち取る為に、成績が良い事と、日頃の行いが良い事は、内申点に響きます

推薦してもらえる様、推薦書の項目を少しでも良く埋めてもらえる様、
生徒会長という肩書を手に入れられる様、そもそも立候補者を減らす牽制をしたり、
同じ所に推薦にならない様、早くから自分が推薦を出す所を宣言して、
お互いに牽制しあったり、サルの縄張り争いの様な争いをしていました

この前まで仲良くしていたのに、平気で敵対視ができてしまったり、
自分の事は棚に上げて推薦で行けた同級生の事を悪く言っている場面を見かけ、
人は欲望の為なら、性格が変わるんだなと、怖くなりました

そう言った人から、嫉妬や曲がった羨ましさを持たれると、
どこで反感を買って、何をされるかわからないという恐怖を感じました

また、普段そんな雰囲気を感じない同級生が、
推薦で大学が決まり余裕が出た間に、これから本番に向けて受験勉強中の同級生を彼氏を寝取るということがあったり、

援助交際をしていたり、
屋上から自殺を図ったり、

とても同じ環境にいる同級生の話とは思えない事が他にもありました

なぜそんな行動を取っているのか自分には理解不能で、人というものがよくわからず、
人と関わるのがさらに怖くなってしまいました

大人になった今思う事

まずは、これまでよく頑張ったねと言うのと、逃げても良かったんだよと、
過去の自分に伝えてあげたいと思いました

全て自分のせいで何もかも上手くいかなかったと、自分の事をずっと責めて来ました
自分に自信も無く、自分の考えや感情にも自信を持てませんでした

改めて書き出してみて、客観的に状況を見ると、
そもそも努力できる環境ではなかったと思います

今の自分がその環境に入れば、一刻も早く抜けた方が良い環境と判断したと思うし、
上手くいかなかったのは当然の結果だと思います

でも、良くない状況を抜け出すことができませんでした
せっかく色んなことを犠牲にして、我慢して、限られた人しか行けない難関の進学校に受かり、途中でやめてしまったら勿体無い、
授業について行けなかった人みたいと、見栄とプライドで、自分自信をガチガチに縛っていました。

所謂、サンクス効果です

狭い視野と低い視座の結果、
自分の周りで聞く話以外の選択肢も、沢山ある事に気が付く事が出来ませんでした

そして、自分の事を正しい方向へ努力して、磨く事ができていませんでした

過去の経験からの教訓

・自分に合わないと思ったら、すぐ離れる
 早めに動いたほうが傷は小さくて済む
 合わない環境に身を置くのは、自分も周りも不幸

・嫌な人とは無理に関わらなくても良い
 1人になっても、悪影響な環境にいるよりもよっぽど良い
 人と関わるから、嫌われるのが怖くなる

・我慢した努力は報われない
 我慢しないと頑張れない事は向いていない可能性が高い
 これなら自分が続けられると言う事を細く長く継続する

・皆と同じ方法ではなくて、自分に合ったやり方をする

・見栄やプライドを持っていても、大した結果も出ない、お金にもならない
 判断を間違え易くなる
 世間一般で価値があるとされていても、自分に合わなければ、ただ虚しいだけ

・自分の現状を客観的に見て、他の選択肢を持つ

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