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PERCHの聖月曜日 42日目

こわい先生だった。気が短くて、すぐに怒り出す。誰かが彼の言葉に賛成できないようなそぶりを見せると、反論を述べるようにきびしく要求した。いちどウィトゲンシュタインの旧友であるヨーリック・スマイシーズが、反論をうまく口に出して言い表せないことがあったが、そのときウィトゲンシュタインは、きつい口調で「なんだ、これじゃあこのストーブ相手に議論しているみたいだ」と言ったことがある。こういう工合だから、ウィトゲンシュタインに対するおそれのため、われわれの注意力は非常に張りつめた状態になった。とりくんでいる問題が極めて難しく、ウィトゲンシュタイン流の解決法はものすごくわかりにくいものだっただけに、この緊張した状態は結果としては非常によかった。けれども私などは、彼の考えにくっついてゆくだけで、頭がクタクタになってしまった。二時間の講義というのが私の頭がつづく限界だった。

こういうきびしさは、ウィトゲンシュタインのつよい真理愛に根ざしていたのだと思う。彼はたえず哲学上の深い問題と苦闘をつづけていたのだ。一つの問題が解決できると、そこからまた新しい問題が生まれるという風に休むひまはありえない。しかも、いい加減な妥協のできない人、いつも完全に理解できなければ気のすまない人だった。火のようにはげしく真理をさがし求め、全知能をふりしぼって戦いつづける人。だから、講義に出席した者は誰も、ウィトゲンシュタインが知能はもちろん、すさまじい意思の力で、全力をふりしぼっていることを感じることができた。これは、彼の純粋なまた冷酷なまでにきびしい誠実さの一面でもあった。先生としても個人的なつきあいの面でも、近よりにくいというか、おそろしい人という印象を人に与えたのは、他人はおろか自分自身も容赦しない潔癖さに原因があったわけである。

ーーーノーマン・マルコム「回想のウィトゲンシュタイン」『ウィトゲンシュタイン 天才哲学者の思い出』板坂元訳,平凡社,pp16-18

Whalers
Joseph Mallord William Turner
ca. 1845

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