日本人は明治維新により「天皇(ゑとり)」を最下層へ貶したのです。
明治維新後の「非人解放」が重大問題だった。
このように「非人解放」によって「恩恵」が殺されてしまう人間関係は「狂気の歴史」(ミシェル・フーコー)が示したものだろう。
しかしこのような「非人解放」を「狂気の歴史」(ミシェル・フーコー)とする見方は「バビロン捕囚」によって全て隠蔽弾圧されていく。
このような「バビロン捕囚」とは「聖書」の弾圧改変を意味する。
では「バビロン捕囚」後の真の聖書とは歴史的に如何に可能だろうか?
それは「バビロン捕囚」された「聖書」から「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)を見出していく「杉信仰」と言える。
しかし,良と賤との間に生れた男女は,一定の手続を経たうえで良民に帰属させるという解放の道も開かれていた。
★これが夏目漱石「それから」のテーマだった。
「バビロン捕囚」によって良と賤は通婚し両者の間に生れた男女は一定の手続を経たうえで良民に帰属させるという解放の道も開かれていた。
ここが最重要の課題である。
しかし「良(ゑとり)」と「賤(非人)」が通婚したとしても妊娠はしないと考えられる。
何故ならこの場合の結婚制度は「バビロン捕囚」の監獄内部を示しているからです。
監獄内部で結婚生活と称する男女の交わり又は関係を築いたとしてもそれが妊娠に至るものであるかどうかは判明ではない。
ここで考えられることは
ここが最重要の認識であり良(ゑとり)には「恩恵」があり、「賤(非人)」は「どす」で殺していく。
「良(ゑとり)」の妻の卵子に「賤(非人)」の夫の精子は受精されるだろうか?
それが「自然受精」であっても「人工受精」であっても「良(ゑとり)」と「賤(非人)」の間に「子宝」を授かることは無理かもしれない。
何故なら「良(ゑとり)」が「犬と豚」(マタイによる福音書)と獣姦しても「子宝」は授からないからである。
もし「良(ゑとり)」と「賤(非人)」の間の獣姦によって子宝が授かるなら「良(ゑとり)」と「馬鹿(獣)」の間にも「子宝」が授かるだろうからです。
だからこの両者に「自然妊娠」は不可能と思われる。
又、この両者の「人工授精」による人間存在の誕生は果たして可能だろうか?
もし生まれて来た子供が「賤(非人)」であったなら人間存在の誕生とは認められないだろう。
人間存在の誕生が「子宝」とはならず「賤(非人)」となるからである。
ただ「子宝」ではなくただの「生命誕生」と言るだろう。
それは「デヴィルフィッシュ」の誕生である。
そのような「生命誕生」が「デヴィルフィッシュ」を意味するならそれは「ディストピア」を意味している。
一方で生まれて来た子供が「良(ゑとり)」となり得る条件とは如何なるものであろうか?
ここで言えることは「賤(非人)」とは「犬と豚」(マタイによる福音書)を示し、「子宝」を自ら否定するだろう。
夏目漱石「それから」
夏目漱石の「それから」の長井代助(ながいだいすけ)は「良(ゑとり)」であり、平岡常次郎(ひらおかつねじろう)は「賤(非人)」であることを示している。
平岡三千代(ひらおかみちよ)は「良(ゑとり)」であり長井代助(ながいだいすけ)とお互いに愛し合っていた。
ここに明治維新より行われた非人開放(部落解放運動)による「バビロン捕囚」を見ることができる。
要は「良(ゑとり)」と「賤(非人)」の通婚を無理強いさせたのです。
このような「バビロン捕囚」は人間存在の衰退と荒廃を意味している。
又、「良(ゑとり)」と「良(ゑとり)」の間に出来た「子宝」を虐待する「非人解放」政策が行われていた。
この時に「良(ゑとり)」は「メシア再来」を信仰するだろう。
それが「キリスト教」であった。
この夏目漱石「それから」の代助と三千代のあり方は「バビロン捕囚」後の「聖書」から「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)を見出していくことであった。
それが「純愛」であり「最愛」であり「聖愛」の「杉信仰」であった。
このような「杉信仰」は「フィッシュ」の誕生を示し「神の王国の到来」を意味する「ユートピア」であろう。
則天去私
「しかし,良と賤との間に生れた男女は,一定の手続を経たうえで良民に帰属させるという解放の道も開かれていた。奈良時代には,賤民解放もときにより行われたが,その全面的解放が行われたのは平安時代の延喜年間(901~923)のことであった。しかし,平安時代後期からは,餌取(えとり。タカの餌のために鳥や牛馬の肉をとる者),⇨犬神人(いぬじにん),⇨夙の者,河原者,屠児(とじ)など⇨散所,⇨非人と呼ばれる賤民が現れた。江戸時代になると,四民(→士農工商)の下に⇨穢多,非人などの賤民身分が法制的に設けられた。明治4(1871)年太政官布告によって,穢多,非人の称号は廃止され,法制的には賤民身分はなくなった。しかし穢多身分の系譜をひく人々は新平民などの賤視的称呼を受け,身分遺制に伴う物心両面の社会的差別をこうむり,第2次世界大戦後にまで及んでいる。」
塵袋「ゑとりをはやくいひて、いひゆがめて—と云へり、たととは通音也」
gratia(恵)