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夏目漱石「それから」から読む「ゑとり」と「どす」

日本人は明治維新により「天皇(ゑとり)」を最下層へ貶したのです。

明治維新後の「非人解放」が重大問題だった。

「犬と豚」(マタイによる福音書)の墓
この墓の意味は「子宝」の誕生と「賤(非人)」の誕生に関する指摘であろう。
「良(ゑとり)」の夏目漱石(天皇)と「良(ゑとり)」の樋口一葉(皇后)の間に生まれた「子宝」は「非人解放」政策の見せしめとして過酷に惨殺されたのだろう。
多分ひどい殺され方だったのだろう。
それが漱石山房記念館の裏にある猫の墓(動物の墓)の意味であると推察される。

このように「非人解放」によって「恩恵」が殺されてしまう人間関係は「狂気の歴史」(ミシェル・フーコー)が示したものだろう。
しかしこのような「非人解放」を「狂気の歴史」(ミシェル・フーコー)とする見方は「バビロン捕囚」によって全て隠蔽弾圧されていく。

バビロンほしゅう【バビロン捕囚】
Babylonian Captivity(Exile)
前 597~538年にわたってイスラエルのユダヤの人々がバビロニア王ネブカドネザルによってバビロニアに捕囚となった事件をさす。捕囚民は『エレミヤ書』 52章 30によれば,前 597,586,581年の前後3回にわたって 4600人と記されているが,これは男子のみをさしているので,全体では約1万 5000人ぐらいであろう。当時ユダヤの人口は約 25万人であったが,捕囚民は支配階級に属する者や技術者であったので,残された民は衰退した。バビロニアでは宗教的自由は許されたが,エルサレム神殿において行なっていた祭儀を失ったので,それにかわって安息日礼拝が中心になり,会堂(→シナゴーグ)における律法の朗読と祈祷を中心とする新しい礼拝様式が始められた。またこの時期にモーセ時代から彼らの時代までの歴史,すなわち『申命記』から『列王紀』が編纂された。したがって預言活動はやんで,かわって律法学者や書記が祭司と並んで重要な位置を占めるようになり,旧約の宗教は「書物の宗教」の性格を強めていった。そして前5世紀後半に⇨ネヘミア,⇨エズラが帰国して新しい法典のもとに民族の再建をはかり,ここにユダヤ教が成立することになった。

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このような「バビロン捕囚」とは「聖書」の弾圧改変を意味する。

では「バビロン捕囚」後の真の聖書とは歴史的に如何に可能だろうか?

それは「バビロン捕囚」された「聖書」から「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)を見出していく「杉信仰」と言える。

しかし,良と賤との間に生れた男女は,一定の手続を経たうえで良民に帰属させるという解放の道も開かれていた。

★これが夏目漱石「それから」のテーマだった。

「バビロン捕囚」によって良と賤は通婚し両者の間に生れた男女は一定の手続を経たうえで良民に帰属させるという解放の道も開かれていた。
ここが最重要の課題である。

しかし「良(ゑとり)」と「賤(非人)」が通婚したとしても妊娠はしないと考えられる。
何故ならこの場合の結婚制度は「バビロン捕囚」の監獄内部を示しているからです。
監獄内部で結婚生活と称する男女の交わり又は関係を築いたとしてもそれが妊娠に至るものであるかどうかは判明ではない。
ここで考えられることは
ここが最重要の認識であり良(ゑとり)には「恩恵」があり、「賤(非人)」は「どす」で殺していく。

「良(ゑとり)」の妻の卵子に「賤(非人)」の夫の精子は受精されるだろうか?

それが「自然受精」であっても「人工受精」であっても「良(ゑとり)」と「賤(非人)」の間に「子宝」を授かることは無理かもしれない。
何故なら「良(ゑとり)」が「犬と豚」(マタイによる福音書)と獣姦しても「子宝」は授からないからである。
もし「良(ゑとり)」と「賤(非人)」の間の獣姦によって子宝が授かるなら「良(ゑとり)」と「馬鹿(獣)」の間にも「子宝」が授かるだろうからです。

だからこの両者に「自然妊娠」は不可能と思われる。

又、この両者の「人工授精」による人間存在の誕生は果たして可能だろうか?

もし生まれて来た子供が「賤(非人)」であったなら人間存在の誕生とは認められないだろう。
人間存在の誕生が「子宝」とはならず「賤(非人)」となるからである。
ただ「子宝」ではなくただの「生命誕生」と言るだろう。
それは「デヴィルフィッシュ」の誕生である。
そのような「生命誕生」が「デヴィルフィッシュ」を意味するならそれは「ディストピア」を意味している。

一方で生まれて来た子供が「良(ゑとり)」となり得る条件とは如何なるものであろうか?

ここで言えることは「賤(非人)」とは「犬と豚」(マタイによる福音書)を示し、「子宝」を自ら否定するだろう。

夏目漱石「それから」

夏目漱石の「それから」の長井代助(ながいだいすけ)は「良(ゑとり)」であり、平岡常次郎(ひらおかつねじろう)は「賤(非人)」であることを示している。
平岡三千代(ひらおかみちよ)は「良(ゑとり)」であり長井代助(ながいだいすけ)とお互いに愛し合っていた。
ここに明治維新より行われた非人開放(部落解放運動)による「バビロン捕囚」を見ることができる。
要は「良(ゑとり)」と「賤(非人)」の通婚を無理強いさせたのです。
このような「バビロン捕囚」は人間存在の衰退と荒廃を意味している。
又、「良(ゑとり)」と「良(ゑとり)」の間に出来た「子宝」を虐待する「非人解放」政策が行われていた。
この時に「良(ゑとり)」は「メシア再来」を信仰するだろう。
それが「キリスト教」であった。
この夏目漱石「それから」の代助と三千代のあり方は「バビロン捕囚」後の「聖書」から「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)を見出していくことであった。
それが「純愛」であり「最愛」であり「聖愛」の「杉信仰」であった。
このような「杉信仰」は「フィッシュ」の誕生を示し「神の王国の到来」を意味する「ユートピア」であろう。

則天去私

メシア
Messiah
ヘブライ語,アラム語で油を注がれた者,すなわち聖別された者を意味した。その具体像は,時代によって多少変化している。ダビデの時代には,メシアはダビデの家系を継ぎ,他民族に対して優位を保ち続ける王として考えられ,これは王国分裂後も残っていく。イザヤの時代になると,血統によらず,むしろ正義の執行者という面が強調される。終末時の特別な人格としてのメシア像は第2神殿時代から始るが,大祭司と王という2つのタイプがあり,クムラン教団ではさらに最後の日の預言者という第3の像が加わっている。新約聖書では,イエスがダビデの家系を継ぐキリスト(メシアのギリシア語訳)とされる。イエスをメシアと認めなかったユダヤ教徒の間にはメシア待望の心が残り,ときには強く現れた(その代表が 17世紀の偽メシア,⇨サバタイ・ツェビ)。メシア信仰は教理となりカバラ神秘主義から合理主義神学にいたるまでさまざまな説が展開されている。ユダヤ教近代主義運動では個人としてのメシアは捨てられ,救済された世界への信仰という形をとっている。なお,他の宗教にも救世主信仰はあり,イスラム教シーア派のマーディ,仏教の弥勒菩薩などにメシア的性格を認めることができる。

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キリストきょう【キリスト教】
Christianity
1世紀の初めパレスチナで神の国を説いたナザレのイエスの刑死ののち,その生涯と教えに基づき,彼を復活した救い主⇨キリストと信じることによって成立した宗教。ユダヤ教がその母体で,ユダヤ教の聖典トーラーはキリスト教成立の前提をなしている。キリスト教徒は,イエス・キリストが旧約の預言に従って生れ,かつてイスラエル民族に与えられた救いの約束(旧約)を全人類に拡大完成する新しい契約(新約)の仲介者であり,
そのために人類の罪を負って十字架上であがないの死をとげたものと考えた。イスラエル民族の信じた神ヤハウェはそれによって全世界の人々の神となったが,イエスはこの神の子,神的ロゴスの託身したものという新しい信仰的要素を加えるとともに,ユダヤ教の律法の廃棄もキリスト教の新しい特徴となった。こうしてキリスト教は1世紀後半にはユダヤ教と分離して独自の教会組織を形成していった。キリスト教は短時日の間にローマ帝国内に広まり,激しい迫害を克服して4世紀には公認宗教となった。中世以後は,さらにゲルマン諸族の改宗によって西洋史の中心に踏出し,今日にいたるまでヨーロッパ,地中海沿岸諸地方において文化と社会の基礎をなしている。早くから世界的な宣教の努力を重ねてきたが,特に 16世紀以降ヨーロッパ以外へも進出,アジア,アフリカ,南北アメリカにもキリスト教国,キリスト教信徒の数は多い。古代の教会はローマ教皇を首座とする⇨司教制度のもとに統一されていたが,1054年ギリシア正教会がローマ・カトリック教会から分離した。また宗教改革によりプロテスタント諸教会が後者のなかから独立し,それらは今日ではさらに多くの分派を生じている。しかし一方では 20世紀に入って,教会合同・一致(→エキュメニズム)の機運も高まっている。キリスト教の特色は,ユダヤ教以来の唯一神信仰に立って,キリストを真の神,真の人とする独特の⇨三位一体論や,キリスト論を教義としているところにある。ここから信徒の生活は,神の礼拝とともにキリストの生涯と教えに従う実践に重きがおかれることとなり,良心と隣人愛が強調される。また神と永遠の生命を究極目標とする超越性とともに,社会や文化への積極的関心を示していることもその特質をなす。西欧中世において,キリスト教会が文化の媒介者,形成者として大きな役割を果したのもこれによるが,近代以降においても,キリスト教の社会的活動は他の諸宗教をしのいで著しいものがある。

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「しかし,良と賤との間に生れた男女は,一定の手続を経たうえで良民に帰属させるという解放の道も開かれていた。奈良時代には,賤民解放もときにより行われたが,その全面的解放が行われたのは平安時代の延喜年間(901~923)のことであった。しかし,平安時代後期からは,餌取(えとり。タカの餌のために鳥や牛馬の肉をとる者),⇨犬神人(いぬじにん),⇨夙の者,河原者,屠児(とじ)など⇨散所,⇨非人と呼ばれる賤民が現れた。江戸時代になると,四民(→士農工商)の下に⇨穢多,非人などの賤民身分が法制的に設けられた。明治4(1871)年太政官布告によって,穢多,非人の称号は廃止され,法制的には賤民身分はなくなった。しかし穢多身分の系譜をひく人々は新平民などの賤視的称呼を受け,身分遺制に伴う物心両面の社会的差別をこうむり,第2次世界大戦後にまで及んでいる。」

ひにん【非人】
江戸時代の最下層身分,またはその身分の者。中世では賤民身分の呼称の一つであったが,江戸時代には⇨穢多(えた)と非人は区別され,それぞれ一つの身分をなしていた。親子代々その身分を世襲する非人と,軽犯罪,貧困などで庶民から転落したものとがあり,職業を制限され,物乞,遊芸,行刑などにあたった。江戸では穢多頭支配下の非人頭(車善七ら)に属し,身分上,穢多より下位にあったが,農工商身分に復帰する道もあった。明治4(1871)年その身分制が廃止された頃は全国に2万 3480人を数えた。(→賤, ⇨番太)

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せん【賤】
日本史上,社会から卑賤視され,身分的に最下層におかれた人々。古くは,⇨奴婢と総称された。令制では,人民は良と賤の身分に分けられ,戸令に,⇨陵戸,⇨官戸,⇨家人,公奴婢,私奴婢を⇨五色の賤といい,結婚にも制限が加えられ,異色の者同士が結婚したときには,その所生の男女の帰属についても,種々の規定が設けられ,⇨良民との通婚は許されなかった。しかし,良と賤との間に生れた男女は,一定の手続を経たうえで良民に帰属させるという解放の道も開かれていた。奈良時代には,賤民解放もときにより行われたが,その全面的解放が行われたのは平安時代の延喜年間(901~923)のことであった。しかし,平安時代後期からは,餌取(えとり。タカの餌のために鳥や牛馬の肉をとる者),⇨犬神人(いぬじにん),⇨夙の者,河原者,屠児(とじ)など⇨散所,⇨非人と呼ばれる賤民が現れた。江戸時代になると,四民(→士農工商)の下に⇨穢多,非人などの賤民身分が法制的に設けられた。明治4(1871)年太政官布告によって,穢多,非人の称号は廃止され,法制的には賤民身分はなくなった。しかし穢多身分の系譜をひく人々は新平民などの賤視的称呼を受け,身分遺制に伴う物心両面の社会的差別をこうむり,第2次世界大戦後にまで及んでいる。(→部落解放運動)

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しゅくのもの【夙の者】
「宿」とも書く場合がある。近世の賤民身分の一つ。五畿内(→五畿七道)を中心に紀伊,伊賀,近江,若狭,丹波,播磨国などに広がっている。農業を主とし,経済的には農民とあまり差はなかったが,農工商とは通婚できず,「夙筋之者」として差別待遇を受けた。(→賤)

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どす
(「おどす」からか)
①短刀・匕首(あいくち)など懐中にかくして持つ短い刀。
②すごみ。「—を利(き)かす」

『広辞苑 第六版』 岩波書店

○どすの利(き)いた声
低く太くてすごみを利かせた声。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

○どすを呑む
懐中に短刀・匕首などを隠し持つ。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

どす
《「おどす」の略か》
〓人を刺すための、短刀・匕首(あいくち)など、小型の刀。
〓人を恐れさせるような、すごみ。「―の利いた声」

『大辞泉 第二版』 小学館

○どすを呑(の)・む
懐に短刀などを隠し持つ。

『大辞泉 第二版』 小学館

塵袋「ゑとりをはやくいひて、いひゆがめて—と云へり、たととは通音也」

えた ヱタ
(「下学集」など中世以降、侮蔑の意をこめて「穢多」の2字を当てた)中世・近世の賤民身分の一つ。牛馬の死体処理などに従事し、罪人の逮捕・処刑にも使役された。江戸幕藩体制下では、非人とともに士農工商より下位の身分に固定、一般に居住地や職業を制限され、皮革業に関与する者が多かった。1871年(明治4)太政官布告により平民の籍に編入された後も社会的差別が存続し、現在なお根絶されていない。塵袋「ゑとりをはやくいひて、いひゆがめて—と云へり、たととは通音也」→部落解放運動

『広辞苑 第六版』 岩波書店

gratia(めぐみ


①五十音図ワ行の第4音。平安中期までは「う」に近い半母音〔w〕と母音〔e〕との結合した音節で〔we〕と発音し、ア行・ヤ行の「え」と区別があったが、以後混同し、現代の発音は「え」〔e〕と同じ。
②平仮名「ゑ」は「恵」の草体。片仮名「ヱ」は「恵」の草体の終りの部分。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

おんけい【恩恵】
charis; gratia; grace
恩寵,聖寵,恵みとも訳される。人間に⇨救済をもたらす神の恵みのたまものをいうキリスト教神学の基礎概念。その解釈については各教会,各学派で異なる。中世神学によれば,人間は有限の目的のため創造され,これに必要な能力がそなえられた(これを自然という)が,さらに神の無償の好意によって,無限な神自身を知と愛の目的とするよう高められ,その達成に必要な性質や能力を新たに与えられた。この性質,能力を恩恵,新しい次元全体を超自然または⇨義の状態という。人類は全体として神にそむき(→原罪),この超自然の状態を失ったが,イエス・キリストの受肉と死と復活によってこの状態を回復した。それゆえ,恩恵はさらに罪のゆるしをもたらし,「キリストの恩恵」とも呼ばれる。恩恵が衣服のように人間本性に異質であれば,それによる救済は単に外面的なもの,強いられたものにすぎなくなる。逆に本性に内在的であれば,当然のものとなり,神からの絶対的無償性がそこなわれる。後者の線を強調したのが⇨ペラギウス派で,それによれば創造がそのまま恩恵であり,救いは結局人間の自力によるものとなり,⇨律法主義,パリサイ主義(→パリサイ派)につながる。前者を推し進めればマニケイスム(→マニ教)で,人間本性は根源的に堕落,悪化,破壊されたままにとどまり,救いは「人間の」救いではなく神の一方的意志行為にすぎなくなる。この緊張関係は,すでに新約の時代から,信仰による義を強調した⇨パウロ,善業の必要を説いたヤコブ書に象徴されるように,教会の全歴史を通じて存在し,恩恵は自然を破壊せず,むしろそれを前提とし,完成するとの公理にもかかわらず,問題は完全に解決されることなく,恩恵と自由意志の問題として今日まで論争されている(→恩恵論争)。宗教改革においてはカトリック側はペラギウス的傾向にひかれ,プロテスタント側はマニケイスム的傾向に傾いて信仰のみによる義を強調し,恩恵は堕落し破壊された人性を内在的に回復高揚することなく,単にそれによって神が人間を義とみなすという⇨義認説をとった。

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おんけいろんそう【恩恵論争】
Controversia de gratia
魂の救済に関して恩恵(寵)と人間の自由意志との役割をめぐるカトリック教義上の論争。恩恵と自由のいずれを強調するかによってさまざまな理論が生れ,そこに論争の可能性をはらんでいる。論争の原形は,人間にそなわった自由意志の力のみで救霊が可能とした⇨ペラギウスと神の働きを強調した⇨アウグスチヌスの論争にある。対抗宗教改革の中核をになうイエズス会は人間の自由に力点をおくが,1588年モリナが『自由意志と神の恩恵の賜物の強調』を出すに及んで激しい論争が起った。人間の働きを強調するモリナに対して,予定の無償性を強調する伝統説に立つドミニコ会の激しい攻撃が起り,教皇庁が介入しモリナは断罪の一歩手前まで追いつめられたが,イエズス会の活動を考慮して異端宣告はなされず,むしろ両説の並存が認められた(1609)。

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こうかてきおんけい【効果的恩恵】
gratia efficax
カトリック神学の概念で,神の⇨恩恵を人間における結果の面からみたもの。充足的恩恵 gratia sufficiensに対するもの。後者が所定の効果(救い)を生じるに十分でありながら,人間の側からの協力のないため効果を生じないのに対し,前者は必ず人間の協力をもたらし効果を生じる恩恵である。しかも意志の自由は奪わないとされる。アウグスチヌスに基づき,恩恵と自由を調和させようとする思想(→恩恵論争)。

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じゅうそくてきおんけい【充足的恩恵】
gratia sufficiens
⇨恩恵に関するカトリック神学上の概念。恩恵と人間の意志の自由の関係について L.⇨モリナが提出し⇨恩恵論争を巻起した。魂の救いに必要な効果を生じるに十分な恩恵であるが,人間の側からの自由な協力がないため効果を生じないもの。非効果的恩恵とも呼ばれる。(→効果的恩恵)

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