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宗磨の歌(ウルトラマンタロウ) 名古屋市昭和区のアパートに於いて

作詞:阿久悠 作曲・編曲:川口真 歌:武村太郎、少年少女合唱団みずうみ
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『ウルトラマンタロウ』のオープニングテーマ。
音声作成 SONYカセットデッキ(TC-1270A)

『ウルトラマンタロウ』は、1973年(昭和48年)4月6日から1974年(昭和49年)4月5日までTBS系で毎週金曜19:00 - 19:30に全53話が放送されていた。

ロシア民謡調のメロディーラインが特徴。

それまでシリーズ主題歌の作詞を担当した円谷一こと東京一の死に伴い、数多くのアニメソングの作詞を担当した阿久悠が起用された。阿久悠も息子の名前が太朗だったため、尊敬されるために作詞したという。
ちなみに、2番のサビの前で一瞬くしゃみしたとおぼしき音が入っていたりする。
歌を担当する武村太郎とは、歌手・俳優・声優の福沢良一の変名である。

私の両親は光村図書出版の東京本社で出会い父の山口県への転勤の際に母は父から一緒に行って欲しいと告白されたそうです。
直後に結婚して山口県で生活したそうです。

両親は青山学院大学のチャペルで結婚式を挙げて父の転勤先であった山口県へ旅立ったのです。

私は転勤先の山口県山口市で生れました。
そして二歳の時に父は愛知県名古屋市に又転勤になりました。
この録音場所は愛知県名古屋市昭和区のアパートです。

私達は文鳥を二羽飼っていました。
結局、文鳥は卵を生みましたが全く孵化しませんでした。
又文鳥は逃げ出し、それが一度だけ姿を見せに帰ってきたことがありました。

又、私はカタツムリを飼っていました。
カタツムリは大量の卵を生みたくさん孵化しました。
私はそれに大変感動していました。

しかし愛知県名古屋市守山区小幡小林へ引っ越す際に両親はカタツムリを捨てろと私に命じました。
私は泣く泣くカタツムリと大量の幼虫をアパートの廊下に放したことを覚えています。

ウルトラマンタロウは当時リアルタイムで放送されていました。
放送局は名古屋ですからCBCです。

僕が実際にTBSの存在を知ったのは一二歳の時に父の転勤で千葉県船橋市緑台へ引っ越してからでした。

ただ名古屋にいる時には夕方のCBCニュースを見ていると全国ニュースに切り替わっていました。
それがTBSの全国ニュースだったらしい。
TBSの表情の厳しいキャスターに切り替わるので子供ながらそれが印象深かった。

今道潤三著「アメリカのテレビネットワーク」を読むと全国ネットというものがよく理解されます。

ただ幾つかある全国ネットには違いはありますがそれは「理念の違い」と言うより「信仰」と「アンチ信仰」の違いと言えます。
「信仰」とはシンプルに言って「誠実と真実」です。

これは「マスメディア」における「マスコミ」のあり方が「信仰」となっていることを物語っています。
「マスコミ」以外の「マスメディア」は「アンチ信仰」となっています。

日本のテレビジョン界における「マスコミ」とは毎日新聞社との関係が深かったTBS系と言えます。
そこには「信仰」と言う「誠実と真実」があったからです。

僕はTBS系の子供向け番組では「ウルトラマンシリーズ」と「仮面ライダーシリーズ」、「トムとジェリー」、「まんが日本昔ばなし」をよく見ました。

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