表裏一体
ワンピースの仲間たちが自分の故郷を離れて旅立つ時の感動の余韻に浸っているような感覚に襲われた
どうもKenです。
なぜかというと今回はこれを読んでしまったからです。
「太陽の棘」原田マハ著
最初は、おじいさんになったアメリカ人の精神科医エドが自分の肖像画を見て昔の沖縄に住んでいた時代を思い出すところから始まります。
舞台は太平洋戦争後で一部が焦土化としてしまった沖縄。エドはアメリカ軍基地の軍医に任命され、沖縄に移住。その後、美術村「ニシムイ」を偶然訪れ、そこにいた日本人芸術家セイイチ・タイラとその芸術家仲間たちとの交友をヒューマニズム溢れるストーリーに仕立て上げています。肖像画はそこで出会ったタイラに描いてもらったもので、友情の証みたいなものです。
今まで呼んだ小説の中で、マジでトップ3に入りました。
下手すると1位です。(下手とは?)
今回、私はこの本に出てきた芸術家たちの生き様に注目しました。
●芸術家の心情
芸術村「ニシムイ」に訪れた時、そこに一人、ひときわ異様な空気感を出しているキャラがいました。それが芸術家ヒガ。
彼の描く絵は他の芸術家たちが描く「明るめ」で「キラキラしている」絵と違って
「抽象的」
「暗め」
「異質」
見る者をゾッとさせるような、白と黒の無彩色をベースにした霊を連想させそうな絵でした。
それを見た後、主人公エドは芸術家の友人タイラにこう言います。
「なぜ、こんな絵を描くんだろうか、彼は。絵を買うのは、僕ら軍の人間だろう?こんな暗い絵、誰も欲しがらないよ。君や、ほかの画家たちが描いているような、きれいで、明るくて、故郷への手土産にもちょうどいいと思えるような絵でなくちゃ・・・」
この言葉が芸術家のタイラの導火線に火をつけます。
「・・・帰ってくれ。仲間を侮辱するやつは、誰であれ、許さない。いや、あんたは・・・ヒガを侮辱しただけじゃない。『おれたちが信じているもの』を、侮辱したんだ。」
この時点では、なんの事が分かりませんでしたが、
読み進めて何となく彼らが大事にしている「もの」が分かった気がします。
芸術家にとって、
ビジネスで使うマーケディング思考とは程遠いものなんだと。
大衆がどうのこうの言う事よりも、
自分の感覚を一番大事にしているんだと。
私もgaragebandでたまに曲を作る時がありますが、
社会的認知度や関心度を重視してしまいます。そこに自分なりのメロディーや好きなフレーズがあれば良いという感じで。そして、なんとなく暗い言葉や人の怨念みたいなものを表現しているものは極力避けてきました。
しかし、それらも芸術的創造に関して言えば、自己を貫いて自分の思ったままを表現している。それは実は本当に凄い事で、なかなか真似出来る事ではない気がします。自分にはそれが出来ないので尊敬します。
真の芸術家にとっては支持数なんてものは関係ないんだなと思いました。
創造する事自体が本当に自らの快感であり、欲求を満たしている事なんだなと思いました。人によっては、承認欲求が強いタイプもいらっしゃるでしょうが、そういう方は心の葛藤が多めなのかもしれません。
でも、そうやって自分を嘘偽りなく表現しているものがあるからこそ、
「明るい」「キラキラしている」という修飾語が意味を成す。
逆に上記のような修飾語があるから
「暗い」「ゾッとする」という言葉が意味を成す。
お互いがお互いの「もの」を引き立ててくれているんだと思います。
世の中「明るい」ものだけで構成されていたら、多分その「明るい」は「明るい」じゃなくなって「ただ存在するだけ」になるんだろうな。
「暗い」だけのもので構成されていたら、「暗い」は「暗い」じゃなくなって「ただ存在するだけ」になる。
表裏一体なんだと思います。
全員が全員「陰キャ」なら、もうそれが普通となって「陰」ではない。
ただの「キャラ」(笑)
互いに存在するからこそ、意味のある、価値のある世界だと思うのです。
だから、何かを創り上げる人は、自分を信じて創り続けるべきで、
それがめぐりめぐって誰かのためになると思うのです。
そしてそれは自分が生きていた証にも、きっとなると思うのです。
この「太陽の棘」に出てきた肖像画のように。