再発見される「型」②
前回、日本人の礼法についての考察を通じて、「型」は残っているが長年月の間にその型の発祥時点の経緯や意味が失われていることがあることを書いた。しかしそもそもの意義が継承されていなくても、型の価値は無くなっていない。
同じことが尺八の世界にも言える。
古くから継承されてきた尺八の曲のことを「古典本曲」という。作曲者は一部の例外を除いて不明である。したがってその曲がどのような経緯でどのような意図で作られたのかは伝わっていない。古典本曲継承者たるわれわれは、とにかく教えられた通りに吹くのだ。何十回も、何百回も。これも一種の型の稽古だろう。
そしてある時「あ!」と気づくことがある。作者の意図や気持ちに。型を継承する者みなが気づくわけではないだろう。それに気付いたのは数百年、数千人の継承者の流れの中で多くはないかもしれない。もしそうだとしても、これまで綿々と型を継承してきてくれた先達がおられたからこそ、いまの私に届いたのだ。
江戸時代には虚無僧といわれる人たちがいた。彼らは僧と言われるからには僧侶だったのか。実はそうではなく、半僧半俗といい正式な得度を受けた仏教僧ではなく、平服に首から袈裟だけを掛けた中途半端な存在だったのだ。だから僧服は着れないし着てはならない。なぜそうなったのか、その理由と経緯については他に多くの研究があるため割愛するが、そもそも正式な僧侶は戒律上、楽器の演奏などしてはならないことが釈尊の時代から決まっている。
であるから、禅宗寺院で尺八を吹くのは娯楽ではなく修行なのだという建前が必要になる。お経を読む代わりに尺八を吹奏し、坐禅の代わりに尺八を吹くのだというところまで行ってしまうのは仕方がない。伝統的な尺八界では「吹禅」という言葉が用いられ、禅修行の一環であると位置づけられている。
「一二三調」という古典本曲がある。一番最初に習う、短くて最も易しい曲だ。しかし最も重要な曲だと、私は感じている。なぜなら、尺八が「吹禅」たるゆえんを物語っているためだ。この曲は、修行を始めてから修行が完成するまでの過程を曲にしている。吹きながらそう思った。そして同様のことを私の祖父の世代の先達が書き残しているのを見た。
「いろは」が、手習いの最初であり、同時に究極の境地を表現しているように、「一二三」は尺八修行の入り口であると同時にその終着点を示している。
「型」は、まだ見ぬ未来の人へ贈るタイムカプセルであり、再発見されるために継承していかねばならないのだ。