「腐る」という、したたかな希望
映画「花腐し」をみた。
昨日の夜、「明日は映画に行こう」と決めて、今やっている映画をリサーチ。
この予告が決め手となり、花腐しの席を予約した。
栩谷(:綾野剛)は優しい人だ。
誰かに対する優しさとは「ごっこ」なのかもしれない。
元も子もないようなことだが、利他的にしたことの全てが利他的になるわけではない。
それは逆も然りな訳で。
優しさとは「ごっこ」で、利他的になるかもわからないもの。
それでも、そんな優しさを持ってしまう人がいる。
優しさを持って生きていることを「ごっこ」と言われたら、腹が立つかもしれない。
でも、僕はそこにも真理があるような気がして、図星を刺されたような気持ちにもなる。
「ごっこ」とは、真似事で、本質的でなくて、空っぽなもの。
そんな自分に気づくこと。
それは、「自分が腐っていると気づくこと」と言えるかもしれない。
最初に、今読んでいる本の言葉を引用した。
この文章を読み、今日映画をみて、「腐るって、したたかなことにもなりうるかもしれない」と思った。
とはいえ、「自分が腐っていると気づくこと」は、衝撃的なことだ。
自分が嫌になるし、もう立ち直れないと思うかもしれない。
でも、植物のように人間も「腐ってしまった自分」を栄養源にすることができるかもしれない、と希望を持ってしまう。
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