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自分にはない視点で緻密に向き合う人の存在を忘れない

緻密さの欠片もないものにどうして振り回されてしまうのだろう?
そうやって落ち込んでしまったりします。

でも、立ち返ってみたとき、この言葉を思い出しました。

人には、見えるモノと見えないモノがあるんじゃなくて、
見たいモノと見たくないモノがあるだけなのかもね。

映画「ロストケア」

この言葉を聞いたとき、「視野を広げて、見たくないモノにも目を向けることが大事だよね」ということを思いました。
確かにそれは大事だと思います。
でも、今は、もっと素直にこの言葉を見つめたいなと思います。

「自分には、見たくないモノがある」。
まず、そのことを認めたい、と思うのです。

見たくないもの。
それはどんなものでしょう?
例えば、それは「緻密さの欠片もない言葉」かもしれません。
緻密じゃない言葉を受け入れられない。
言葉を雑に扱うことが許せない。
緻密さの欠片もない言葉なんて見たくない。
そう思うこと、「見たくない言葉がある」ということは、逆に言えば、「言葉に緻密に向き合いたいと思っているから」かもしれません。

そして、「緻密に向き合いたいと思うもの」は、人によって違いますよね。
自分が緻密に向き合いたいと思うものに、何の興味も持たない人もいるかもしれないし、
自分が緻密になれないものに、ものすごい緻密さを発揮する人もいます。

緻密に向き合いたいと思うものがあって、見たくないモノがある。
緻密には向き合えないもの、興味を持てないものがある。
全部に対して緻密に向き合うことはできないのかもしれないけれど、
自分にはない視点で、そこに緻密に向き合う人がいる。
その存在を忘れてはいけないな、と思います。
自分が緻密に向き合いたいと思うものを雑に扱われたら悲しいですもんね。

*

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