大人になれないまま、大人になって
この記事が結構読まれていること、とてもうれしいです。
記事で引用したYUKIのインタビューの中で、
という言葉がありました。
僕は、「強くなっていく」というところが何となく腑に落ちていませんでした。
強くなる必要なんてあるのかな、と思ってたからです。
けれど、今は少しだけわかったような気がします。
大人になるって、どんなことだろう?
大人になれないって、どんなことだろう?
そんなことを書きたいと思います。
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皆さんは自分のことを大人だと思いますか?
それとも思わないでしょうか?
法律上の成年年齢はあるけれど、それは儀礼的なものだと思います。
今の日本だと18歳、僕の場合は20歳でしたが、その誕生日を迎えたとき、確かに法律上は「成年」になったけれど、「大人」になったか、というと違う気がします。
日々は地続きで、ある日突然すべてが変わることはあまりありません。
大人。
例えば、「大人なんだから、泣かないで」というセリフ。
大人なんだから、大人のくせにといった言葉の後に続くのは、「そんな子どもみたいなことをするな」という内容です。
子どもみたいなことって、どんなことでしょう。
人前で無邪気に泣くこと。
自分のこだわりが侵されたことへ怒鳴り散らすこと。
感じた喜びをストレートに表すこと。
こんなことたちでしょうか。
では、大人になるとはこの反対で、
涙を見せないこと。
こだわりは捨てて寛大になること。
先を見据えた表情を演じること。
こんなことたちでしょうか。
極端かもしれませんが、抽象的に書き出してみました。
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ここからは、僕個人が思う「大人になる・ならない」を書きたいと思います。
15歳という年齢。
中学3年生、高校1年生。
多分そのあたりの頃って、生涯忘れない時間を過ごしていたんだな、と思います。
僕は、中学の3年間が今までの人生の中では、つらかったなーと思う時代です。
先輩とうまくいかなくて、世渡り上手的に立ち回ることもできなかったし、嫌いになることも自分に許せませんでした。
お上手に立ち回れるわけではないけれど、嫌いでいてはいけない・ちゃんとしないといけないと自分を苦しめていました。
先輩との話がいつも浮かぶけれど、多分すべての人間関係においてそうだったと思います。
思春期の過敏な心を過敏なまま持っていて、小さな世界で傷だけが響いていたようです。
そして、高校に上がると、僕は「上辺だけの付き合い」をしていました。
もう傷つきたくはないから深く付き合うことはしない。
明るくて、きっと無駄に明るくて、笑っていたけれど、それは「僕には立ち入らないで」という線を引くためでした。
それが、「大人になること」だと信じていたのかもしれません。
「上辺だけの付き合い」は確かに傷つかないです。
いつでも笑みを浮かべられたし、自分の心の平穏を保つことができました。
でも、さみしさも感じていたように思います。
僕は欲張りなのかもしれません。
傷つきたくないから上辺の付き合いをしてきたけれど、いつからか、そこで得られる喜びは絶対に突き抜けない、と気がつきました。
こう言ってくれた方がいました。
その当時の僕にとって、図星をさす言葉でした。
けれど、思い返すと、この言葉を言われて、「怒り方が分からない」というさみしさの混じった戸惑いもあったように思います。
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話がごちゃごちゃしてきた感がありますが、僕が「大人になること」と信じていたこと、
いつでも笑みを浮かべていること、
怒らないこと、
当たり障りのないことしか交わさないこと、
これらのことは、全然「大人になることではなかった」のだな、と思います。
これらのことを、「大人になること」だと思う人もいるかもしれないし、それができない人に対して、「大人になれ」と言うかもしれません。
僕が思う「大人」は、
です。
これは僕の「こんな大人になりたい」という願い事でもあります。
はじめのYUKIの「強くなっていく」という言葉に戻ると、
「強くなっていくとは、カタくなっていくことではない」と、僕は思います。
生きていく、年を重ねていくと、
もう傷つかないように他者との間に線を引いたり、
こんなことをするのは大人じゃないと何かを制御をしたり、
上辺の損得勘定で動いたり、
そういうことがしたくなるときもあるかもしれません。
たしかに、
線を引かず他者と交わること、
自分のこだわりを面と向かって伝えること、
喜怒哀楽を自由に表現すること、
そういうことは傷つくこともあるかもしれない、エネルギーがいることです。
でも、そういうことへエネルギーを持って飛び込んでいくことが、「強くなっていく」ということな気がします。
傷つかないために飛び込まないのではなく、
傷つくかもしれないと知っているけれど、飛び込む。
それは、きっとその方がずっと喜びがあるからです。
大人になっていくことは楽しい。
そう思います。
他者・世界と溶けあうことができたなら、それは果てしない喜びだって感じられることだからです。
僕は、やわらかい心と体と頭を持ち続ける大人になりたいと思っています。