きのう読みはじめた「根っからの悪人っているの?」という本がとても面白く、一気に読み終えました。
本に「修復的司法」という言葉が登場していました。
被害者と加害者の対話から、犯罪の「修復」がはじまるのかもしれません。
加害者が、自分の被害者性に気づくこと。
被害者が、回復し被害を受けとめること。
過去に起こったことや、過去の自分がどんなことをして、どんなことをされて、どう感じていたのか。
それぞれが自分の過去を見つめ、語ることから、加害者と被害者の対話がはじまるのかもしれません。
ことが起こり、塀のこちら側と向こう側に分かれる。
目に見える塀もあれば、目に見えない壁もある。
自分と他者の境界はどこにあるのでしょう?
皆さんは、どんな時に自分と他者の境界があるように感じますか?
そして、どんな時に自分と他者の境界がないように感じますか?
これって、すごいことだと思います。
心の機微を読み取ろうとすることって、できたらいいなと思うことかもしれませんが、エネルギーが必要で避けられていることでもあるように思います。
塀を建て、壁をつくってしまえば、それ以上考えなくてもいい、感じなくてもいいことなので。
「話したい」「知りたい」と思う気持ちを表現するとき、自分と相手にあいだがあるならば、そのあいだの差異を考える、感じること。
それはエネルギーもいることだけれど、自分と相手のあいだに強固な塀や壁をつくるのではなく、自分の心の機微にも敏感になって「話したい」「知りたい」を表現していきたいと思いました。
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