ルソーのいう一般意思の実現について。
以下はジャン=ジャック=ルソーの「社会契約論」に関するまとめです。
今回はそのまとめを踏まえて、私の個人的見解を述べていこうと思います。
以降はまとめとなっています。
「一般意思はただ共通の利益だけを考慮する。全体意思は個人の利益だけを考慮し、それは個人の意思(特殊意思)の総和しかない」という。
また、一般意思は「互いに対立して否定し合う、もっとも多いものと、もっとも少ないものを特殊意思の中から差し引くと、その差引きの総和として残る」ものであるという。
すなわちら全体意思の中から、それぞれの特殊な差異を引けば、そこに残る共通のものが一般意思であるという。
⇒(全体意思)-(特殊な差異)=一般意思
→普遍的な主体、すなわち人民の意思であるという意味で一般的であるという。
そして「意思を一般化するものは、投票の数ではなくて、それを一致させる共通の利害」であるという。
また、投票の結果は、共通の利益に反するような法律を制定するかも知れないのである。
一般意思が真に一般的であるためには、本質と同様に対象に対しても一般的でなければいけない。
→一定の対象に向けられるとき、公正さを失う議論によって最大公約数である一般意思をひきだそうとする。
→考え方の差異を生み出すことが必要となる。
以降は上記を踏まえた私の見解です。
最近よく思うのは、民主主義国家のその先にルソーが望んでいたような世の中があるんじゃないかということですかね。
国という概念や枠組みは残ってるものの、実態としての政府が存在しない社会。そんな社会において、一般意志は実現されるんじゃないかと。
一般意志は普遍的価値観という言い換えができるのではないかと思います。
その上で、自己統治状態の国家(国家といっていいかわからないが)ならば、その普遍的価値観すなわち一般意志に基づいて人々が活動するため、政府がなくとも統治状態になるのではないかと。
いわば政府を必要としない状態というのは、各個人が互いに尊重しあえる共通価値観があるということなのではと。
そしてその共通価値観(普遍的価値観)は当然として共通善であるため、すなわち一般意志の実現といえるのではないでしょうか。
ご覧いただき、ありがとうございました。
以上です。