One Day 2
「だからさぁ!!お前何回言ったらわかんだよ!ぶっ殺すぞ!?」
ミサイルの発射音のような怒号が俺の目の前で響き渡る。
「…すいません。」
「ほんとカスだなお前!明日から来んな!!」
こんな日常には慣れているが、今日は一段と酷いな。
「……すいません。」
「なんか言い返せよ!俺が悪いみてぇだろ!?ったくよぉ…まじ明日から来んな。来たら殺す。」
元号が変わったところで世の中が劇的に変わる訳では無い。給料、人間関係、役職…数えだしたらキリがないが、俺の会社での立ち位置だって例外じゃないと、このミサイル音を聞けば嫌でもわからされる。
「……」
「返事もできねぇの!?」
「…はい!!(いつか絶対殺す)」
こうして今日の俺の何気なく最悪な日々は終わっていった。
26歳独身、ブラック企業に務めて3年弱。俺の心は憔悴しきってる…わけじゃなかった。友達も恋人もここに務めてからパソコンのデータのよう消し飛んだが、そういった現代の枷と呼べるものが今は会社しかないと考えると、俺の心は存外晴れやかなのだ。アラームなんでかけずとも朝4時には起きれる身体になったアラームなんてかけずとも朝4時に起きれる身体になったし、コンビニの惣菜パン1つで飢えをしのぐ術だって手に入れた。金だってそこそこある。こう見えて何も持ってないようで、大体のものをそれなりに持っているのだ。
昨日あんなにボロクソに言われたのは、得意先からの発注が遅れたことで、納品が3日ほど遅れることを報告したことによるものだ。勘のいい人間ならわかるだろうが、遅れたのは相手のせいであって、俺は何も悪くなかった。それでも俺が悪くなるのが、ブラック企業というものなのだ。上司は何かと俺を目の敵にしていて、うざったい。
「あいつ、ほんとに死なねーかなぁ。」
無意識だった。この言葉を発して数秒後、俺の心は傷ついていたのだと理解した。涙の栓が決壊し、視界から世界が抜け落ちた。俺はこの日、人生で1番泣いた。この世に生まれ落ちた時の喜びの賛歌が霞むほどに。
俺がうつ病と診断されたのは、あの日からそう遠くない出来事だった。あの翌日、俺は会社を辞めた。上司の罵詈雑言は全部録音していたから、それと共に退職願を突き出した。その日は上司に3回殴られ、その足で精神科へ向かった。
「あのカs…じゃなくて、あの上司、やめたら他人だからって理由で3発も殴ってきまして。他人なら尚更殴っちゃダメですよね…はは…。」
診察室で俺はドクターに、これまでの出来事とたった今起きた理不尽について説明をした。
「世の中にはあなたの上司のように、どうにもならないのに権力だけは持ってしまった人間というのがいてしまうんですよね。運がなかったと言ってしまえばそれまでですが、よく耐えましたね。」
仏のようなドクターの言葉に俺はまた涙を流した。誰かにこんなに優しくされたのは、久しぶりだった。
ドクターの診察で俺は正式にうつ病と診断され、症状の悪化を防ぐためにしばらく入院することになった。
病院での日々は心地よかった。患者はおかしなやつしか居なかったが、先生も看護師も優しくしてくれた。病院食は美味かったが、残すことがほとんどだった。適切な処置が功を奏し、俺の状態はゆっくりとだが確実に快方へ向かっていった。
退院が決まった日の正午過ぎ、俺は病院のテレビで流れたニュースに目を丸くした。
『〇〇商事部長××、横領の疑いで逮捕』
間違いなかった。俺がいた会社の、俺の上司だ。よくわからないが、国の機関の監査のようなものが入ったようで、その際に発覚したとかなんとか。画面に映る上司の姿は、視聴者に同情を煽るような悲観的なものだった。まるで自分はやってない、仕方がなかったとでも言いたげだった。
「あいつ、俺にはボロクソ言っといて横領なんかしてたのかよ。だっせぇやつ。」
画面越しに俺は上司に一瞥すると、すぐ後ろからドクターがやってきた。
「見たかいニュース。めでたいことかはわからないけど、ひとまずおめでとうって言っとこうかな。」
「はは…ありがとうございます。」
「因果応報ってやつだよ。悪いことした人には悪いことが返ってくるものさ。逆もまた然り。治ったタイミングでこの報せは、素直に喜んでいいんじゃない?」
「まぁ、そうなんですけどね。」
たしかに喜ばしいことだろう。でも
「あいつが捕まったところで、俺の過去は消えやしない。死ぬまで忘れられないでしょう。俺はこれから先ずっと、この想いを背負い続けて生きていかなきゃならない。あいつのせいでついた傷を、一生だ。捕まったくらいじゃ許したりはできないですよ、やっぱり。」
「それでいいんだよ。許す必要なんてない。許される道理もない。ただね」
ドクターは真っ直ぐに俺の目を見てこう言った。
「何を許すかをあえて言うなら、それは君自身だ。僕が言うのもなんだけどね、あの男が招いた種であれ、君がここまで傷ついたのは、君のせいでもあるんだよ。これまでの理不尽に耐え続け、強がり続け、心が傷ついていくことを許容してきた自分自身を、君はこれからの長い人生をかけて許していかなきゃならない。」
「でも、そんなのどうやって?俺にはもう何もないですよ。友達とか、相談できるような人とか」
「そんなの、これから作ればいいんだよ。人によってつけられた傷は、人の力で治すしかないからね。」
「病気にだって同じこと言えるんじゃないですか?」
「ははっ!たしかに。」
2人でそんな話を日が暮れるまで話した。俺は笑うことができるまで快復していたことを、退院が決まったこの日まで自覚できていなかった。
退院の日は、両親が迎えに来てくれた。久しぶりに会った両親は俺を見るや抱きついて、泣きじゃくった。それを見て俺も泣いた。どうにも最近泣いてばかりだ。
「ごめんなさいね、先生は急用で見送りできないんです。」
「気にしないでください。昨日充分過ぎるくらい応援してもらったんで。」
最後の挨拶を軽く済ませて俺は両親の運転する車に揺られて、実家に戻ることにした。車に揺られながら、あの3年間の日々を思い出すことは1度もなかった。
「なぁ、退院してこんなこと聞くのもあれだけど、これから何するか決めてるのか?」
俺はしばらく考えてこう答えた
「そうだなー、職探しとかはまだ決めてねーけど」
「本でも書いてみっかな」
理不尽を乗り越え、ささやかな決意を決めた、ある日の物語
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