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スパイスの旅のはずが茶畑に?

インドの最初の目的地として1ヶ月滞在したクミリーを離れ、ケーララ州の紅茶の産地ムナールへ。標高が1600mと高いため、朝はダウンを着て過ごすほどに冷え込みます。(そして風邪をひいてしばらくnoteの更新も怠りました😂)

クミリーで一番最初に出会い、最後の最後までお世話になったジョイさんは、数十年前にインドを紅茶帝国へと導いたTATA teaで働いていました。そんなジョイさんからの情報もあり、

「スパイスの生産と紅茶の生産の仕組みの違いを見てみたい。」

そんな思いで、一路北へ向かうことに。

出発当日。バスの時間を急遽変更することになり、お世話になった人たち全員には挨拶できないままクミリーを発ちました。急カーブがひたすら続く山道を4時間ほどかけて到着。(大人になって初めてバス酔いで吐きました…)

元々ジョイさんの親戚のお家に泊めてもらうことになっていましたが、こちらも予定が変わり、当日宿を探すことに。インドの宿の掲載件数が多い『Make My Trip』というアプリで、中心からも近く、茶畑に囲まれた高台にあるホテルを見つけて、そこに滞在することにしました。

到着して一休みしたあと、早速周辺を歩いてみると、茶畑の麓に青色の同じ壁の色をした家が立ち並んでいました。その特徴的な光景に、これはもしかすると農園で働いている人の住居なのでは?という仮説が生まれました。

紅茶農園の麓にある青の壁の家々

ムナールの主産業となった紅茶のほとんどは、KDHPという企業の茶園(元TATA tea)で生産されています。その始まりは、英国統治時代にイギリス人が土地の調査を行い、プランテーションの計画をスタートたところから。その後インドで初めての水力発電が建設され、ロープウェイが開通し、流通網ができたことでさらに生産性が向上しました。

1976年にインドのTATA財閥が買収した後に、アジア最大のティーファクトリーを設立するなど事業は拡大していきましたが、2005年に現在KDHPが大部分の農園を株主として買取。12500人以上の従業員を擁するインドで最初かつ最大の参加型管理会社になったそうです。

今回ムナールの滞在は、3日足らずと限られていました。できるだけ早く農園関係者に出逢いたいと思い、多くの人が集まるであろう、街の中心部にある宗教施設へと向かうことにしました。

すると面白いことに、市場がある街の中心から、ほぼ同じ距離と高さのところに、教会、モスク、ヒンドゥー寺院があるのです。キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教という3つの宗教の人たちが共存しているケーララ州らしい光景のように思えました。

左から教会、奥にモスク、右にヒンドゥー教寺院。

あいにく教会には人がいなく、モスクでは女性の入場を断られたので断念。最後に行ったヒンドゥー寺院で、ようやく地元住民の方とお話しできました。そして期待していた通り、茶園で働いているというお母さんと息子さんと話をすることができました。

元々タミルから移住してきたというその家族は、英語が話せなかったものの、オンラインの翻訳機能を使いながら、待遇に関することなどを教えてくれました。すると、その様子をみていた別の夫婦が、英語で話しかけてくれました。

「私は今行政に関わっているけれども、元々茶園で働いていたんだよ。妻は今でも茶園でお茶の収穫をしているから、これからチャイでも飲みに行くかい?」

嬉しいお誘いに即答しつつ、私は教会とモスク、ヒンドゥー教寺院が同じ高さにあることについても質問してみました。すると夫のゴヴィンダさんは、

「ムナール中心には3つの川が注いでいるんだ。それはキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教の融合を象徴しているとも言われているんだよ。」

と教えてくれました。

ゴヴィンダさんと奥さん。奥さんもKDHPの農園で収穫作業をしています。

近くのティーショップに入りチャイをオーダー。一息入れつつ、ゴヴィンダさんから、紅茶の労働者の多くがタミルから移住した人たちであること、そしてKDHPは茶園で働く労働者に診療所を無料で開放したり、社会保証を提供していることを教わりました。さらに、私が気になっていた青の壁の家は、KDHPが労働者向けに建設した無料の住居であることも判明したのです。

タミルの人々が労働力を担っているという点や、1日8時間40分働いて400ルピーという日給はカルダモン農園と近いものがありますが、圧倒的に紅茶農園が進んでいるのは、多くの社会保障が付帯されているということです。英国統治時代からの歴史を継承していて、こうしたシステムができているのは、その影響もあるのかなと思います。

紅茶の生産・流通はモノカルチャーで、「ティーボード」という政府機関が統制しているため、一度売価が決定すると、そこから価格を変えられないという制限があるそうです。一方スパイスの生産・流通に関しては、輸出品に関しては政府機関の「スパイスボード」が安全性と品質向上のためにサービスを提供していますが、より自由なマーケットで、参入企業も数えきれません。こうした違いからも、社会保障制度をムナールの事例と同じフレームでは適用できないかもしれませんが、何か良いヒントがある気がしました。

一つ気になったのは、新たに森林を伐採して、プランテーションを広げる動きも見られたこと。そして、紅茶のドライヤー施設の稼働のために大量の木材が燃料として使用されていることです。「スパイスボード」が気候変動対策のために研究機関が調査をしているように、同じような調査と統制が「ティーボード」でも行われているのかも知りたいところです。

もう一つ、ムナールがユニークだと感じた点は、『Tea Tourism』をプロモーションしているだけに、紅茶のミュージアムやアウトレットもあるほか、景観を守るためにゴミ箱もたくさん設置されていました。さらに、「アップサイクルガーデン」という、ペットボトルなどのプラスチックを再利用したモニュメントなどもありました。

アップサイクルガーデン。UNDP(国連開発計画)も支援しているようです。

ただ、インド人のほとんどの人が、道端にゴミを捨てるという習慣を未だに持っていて、実際にゴミ箱に捨てる人はほとんどいませんでした。雨季に排水システムにゴミで詰まって機能しなくなったり、河川や海の汚染により生態系が破壊され、最終的に人間の暮らしにも影響が及ぶということは、ほとんど知られていないようで、マインドシフトにはまだまだ時間がかかりそうです。

ゴヴィンダさんと会った帰り道、またもや偶然茶畑で働いている別のファミリーに出会い、KDHPが提供しているお家に入れてくれました。(この日の晩ごはんはケララフィッシュカレーでした)部屋はカスタマイズ可能で、お風呂はホットウォーターが出るようになっていました。例に漏れず彼らもタミルから移住してきた家族で、私の拙いタミル語の挨拶に喜んでくれました。

KDHPの提供している住居を見せてくれた一家。おばあちゃん、お父さんと代々紅茶農園で働いているそうで、住居も拡張してもらったそうです。

そして翌日、ムナールの最終日にゴヴィンダさんの計らいで、KDHPの紅茶農園を案内してくれることに。待ち合わせ場所の向かいに並んでいたオートリキシャの列に向かうと、

「ヘイ、ブラザー!」

と言って、古くからの友人のドライバーを見つけ、マトゥペティーという広大な農園と水力発電を行なっているダムがある地区に連れて行ってくれました。どうやらそのドライバーは農園でも働いているようで、茶葉の収穫の方法や、お茶の葉っぱは揉んでから数分経った方が香りが立つことをなどを教えてくれました。

観光客のいない奥の方へと進んでいくと、20人ほどの女性の労働者たちが集まって、午前中に詰んだ茶葉の重さを測っていました。毎日27kgもの重さの茶葉を、専用の器具を使ってカットしていきます。チャイによく使われるCTC(Crush/Tear/Curlの略)の生産過程も見学させれもらいましたが、ダストと言われる部分は焙煎後に選別されます。私も体験して気が付きましたが、器具でカットするため、若い芽以外の硬い部分や茎なども一緒に摘み取ってしまうのです。それらを最終的に選別するという形で、効率的に収穫・茶葉の加工を行なっていることがわかりました。

お茶の収穫を教えてもらっているところ。とにかく日差しが強くて、緑が眩しかったです。
CTCの加工プロセス。4段階にわたり潰して割いて丸めていきます。

3日という短い滞在で、たくさんのことを学ばせてもらったムナールに感謝しつつ、今度はマラヨールというさらに北の地域へ。次回は自然保護区で暮らす少数民族の人たちが参画しているマーケットについてお届けします!

最後に、毎朝あったかいチャイを入れてくれた近くのチャイ屋さんのお母さん。旦那さんを亡くして1人で朝4時から夜8時まで切り盛りしています。最後の日はビスケットをご馳走してくれました。

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