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リベラルと福音派について

僕は福音派です。国際基督教大学の宗務部長、大学牧師だった頃の、新約聖書学者の永田竹司先生に授業中公然と反論し、大学の教会の牧師室で直々に「君は原理主義だね」と面と向かって宣言されたくらい福音派です。以前は自由主義神学に強硬に対抗すべきだと思ってました。

今でも福音派であることは変わりありません。ただ自分とは異なる立場のクリスチャンたちに対する態度や考え方は変わりました。本当に福音主義信仰が神の前に正しく神が全知全能で正義で愛だと信じるなら、自分が相手を変えようとする必要はなく、ただ愛する責任のみあると考えるようになったからです。

十勝聖書フォーラムの三浦亮平先生の証し「リベラル(自由主義神学)から福音派へ」を読んだことも理由の一つです。神様は変えようと思ったらいくらでもリベラルの人を福音主義に変えることのできる力のあるお方です。その力を僕は信じ委ねたいと思うのです。

逆に福音派の教会を辞めてリベラルの教会に移った人たちのことも知りました。辞めた人に問題があったのだと主張する教会もあるでしょう。しかし本当に教会が神の愛の共同体として機能していたら辞めるでしょうか。僕の教会から人が去ったら、僕は裁かずに「愛さない罪」をただ悔い改めたいと思います。

ある意味その辞める人を通して神様が自分自身の愛のなさを示してくださっているのだとも思います。辞めた人がどう見ても100%悪いと思えてもやはり自分が全知全能で正義の神様が愛の働きのために用いる器として自分を差し出していなかったと解釈します。まずは自分の目の中の丸太を除きたいのです。

クリスチャントゥデイは福音派のキリスト教メディアですが、これを誹謗する人の中にはリベラルの人もおり福音派の人もいます。またその中傷はおかしいと指摘する人たちの中には、福音派だけでなくリベラルの人もいます。以前は敵対している側だと僕が思っていたリベラルの人たちから助けられたのです。

これも神様のなせる業なのだと僕は思います。クリスチャントゥデイは立場としては福音派の信仰に立っていますが、正教会、カトリック、聖公会、リベラル、福音派、聖霊派の全部で起きたニュース性のある出来事は事実として報道します。キリスト教の全ての教派、求道者、宗教学者、一般の人も読者です。

異なる教派・立場の読者の方々がクリスチャントゥデイを報道機関として利用してくださり、ニュース配信元として役立て、価値を認めてくださるからこそ存続できています。神様がそれらの読者の方々を通して生かしてくださっていると信じます。だから、自分には皆を愛し仕える責務だけがあると思います。

自分のことを正しい福音派だと思って他教派の人々を見下すなら、僕は「愛さない罪」を犯していることになります。だから「互いに相手を自分より優れた者と思い」互いに尊重し学び合える愛の関係を作りたいと願います。「互いに愛し合う時にこそ、全ての人からイエスの弟子として認められる」からです。

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