あをによし
祖父のことを思い出さない日はない。
破天荒で、頭がよく、意地の悪い、とんでもないじいさんで、名言の数々を遺した。
だから、どこかで祖父が言い放った言葉がふっと出てきてしまう。
最も強烈な記憶として残っているのが、亡くなる間近のことで、救急病院の集中治療室での傍若無人な祖父の言葉だ。
祖父のところに家族で見舞いに行ったら、祖父は私にチャーター機を病院の前に着けて、沖縄に連れて行ってくれという。
沖縄好きだった祖父は、何度も沖縄の地を踏んだ。
その旅行のうちの最後の一回は、私とふたりでだった。とんでもじいさんと旅行できた強者は、孫の中で私だけだった。
今となっては、最期の瞬間を沖縄で迎えさせてあげられたらよかったなぁ、なんて思ったりはするけれど、なんせ一般人にとってはミッション・インポッシブルすぎる願いである。
家族みんなで「元気になったらね」とか言いながら適当になだめたら、祖父は最後に「お前たちに頼んだって、なーんもならん!」と、吐き捨てた。
不謹慎かもしれないけれど、その時も、今でも、それを思い出しては笑っている。
私は、できた人間ではない。
そして、できてない人間の都合のいいように他人が振る舞ってくれる訳では当然ないし、理不尽だと思うことが起きることも日常茶飯事だ。
そんな時、こころの中で『なーんもならん!』と毒づいてみる(相手がいる問題の場合は、状況が悪化するだけなので、口に出さないことがポイントだ)。
それから、気持ちを切り替え、次の方法を真剣に考え、再度トライしてみる。
まだ私には、その時の祖父と違って、自分で方針を変え、人生を設計し直すチャンスがまだまだあると思う。
祖父は、古代日本の仏像をはじめ、人の手で創られるものを愛した。
自宅の壁にはお気に入りの仏像のポスターを飾り、アイヌ民族の木彫りの人形や、ミャンマーで購入した民芸品等が並んでいた。
それらの芸術的なよさがなんとなく分かるようになったのは、それからしばらくの後、祖父と同じ土木屋になって、滋賀県で暮らしたことがきっかけだった。
農村の自然豊かな、数多くの遺跡のある地で、平日は仕事、週末は農学校もしくは仏像等を巡り過ごした。
滋賀県だけではなく、ちょっと足を伸ばし、京都や奈良も訪れることもあった。
そんなある日、京都で陶芸家の河井寬次郎の作品に出会った。
寬次郎は、祖父にそっくりな容貌をしていた。
河井寬次郎が遺した陶芸作品や、木彫りの作品は力強くてあたたかい。その表面には、火や空気等の自然によって作り上げられた釉薬や年輪の模様が、寸分のくるいなく、それでなくてはならなかったかのように美しく刻まれている。
文筆家でもあった寬次郎は、以下の言葉を遺している。
寬次郎の作品には、土や、木が『すき』と感じるであろうものが表現されているように思える。
土木屋の私は、自分のフィールドで各材料の『すき』をどう表現したらいいものか、寬次郎の作品に出会って以来、ずっと追い続けている。
私が座右の銘としている寬次郎の名言は、以下のふたつだ。
いい仕事ができるようになるには、いい仕事をしているものを、暮らしの中で観察することだと思う。
ものづくりという点だけが同じで、仕事の分野は全く違うけれど、日本の伝統工芸が私は好きだ。
それを販売している企業のひとつが、奈良県に本社を置く『中川政七商店』だ。
中川政七商店は、日本の伝統技術を、現代人が普段使いしやすいように変化させ、作り手と消費者をつなげる確かな品質の工芸を世に送り出し続けている。
滋賀県を離れた現在でも、年に一回は必ず、中川政七商店で購入している。
今年初め、初売りのセールで一目惚れして購入した陶器が、辰のボンボニエールだ。
ぶちゃかわいい辰とパンダが、なんとも愛くるしい。この絵柄は、『KUTANI SEAL』によるもので、転写シールを貼って焼き付けたものだ。
KUTANI SEALの絵柄は、私が日本一香ばしくすっきりした美味しさのお茶を造っていると感じている、石川県加賀市の株式会社丸八製茶場のお茶缶(テトラシリーズ)にも使われている。
中川政七商店では、初売りとほぼ時期を同じくして、能登半島で起きた地震で被災された職人さんたちへ、売り上げの全額を寄付するという『北陸のものづくり展』を開催していた(現在は終了)。
職人さんたちや、工芸品の技術を未来へつなぎ、残していって欲しい、という想いから、何点か厳選し購入した。
『KUTANI SEAL』の文鳥ブローチと、『RIN&CO.』の九谷焼の茶碗、『漆琳堂』の越前硬漆の一乗椀にした。
特に気に入ったのが、自分で初めて買った漆の食器、一乗椀。
現代人が使いやすいように食洗機の使用が可能で、熱いものを入れても椀が熱くならない。
毎日を彩ってくれるものたちを購入して、いい買い物をしたな、と思う。
どんな仕事でも、誰かの暮らしを創るものであることは、間違いない。
だけど、私はどこかでロケットのようにプライベートの暮らしと、仕事の暮らしを切り離して考え、過ごしている。
だからこそ、私は、私の暮らしを飾り、彩ってくれる手仕事や、手仕事が私の暮らしに変化してくれるものが好きなのだと思う。そして、それが感じられる可能性があるものを、全部は無理なので、少しだけ私の生活に取り入れる。
祖父の遺品の中から、ふたりで行った沖縄の写真が出てきたことがあった。
デジカメで撮った画像を全てプリントアウトし、その写真の裏側に、一枚一枚、丁寧に祖父が自筆でコメントを書いていた。
まだ私が幼かった頃、祖父は、度々、私の手を引いて本屋に連れていき、必ず一冊本を買い与えてくれたことも、しょっちゅう思い出す。
そんな些細な日常のひとこまに、全くその時は気づくことのなかった、祖父の愛を、今更のように感じてしまう。
まだまだ発展途上であるが、私の芸術を観る目や、手仕事が好きだと感じる礎は、祖父によって創られたに違いない、と思う。
これからも本当に丁寧に作られたものを手にしたいし、応援したい。
私も暮らしづくりに頑張っている人々の姿を北陸から届いたものから感じながら、『暮らしが仕事 仕事が暮らし』と思えるような日々を、あるがまま焦らず生きながら、つくっていけたらいいなと、遠い将来に想いを馳せた。
(完)
本記事を書くにあたって、以下の文献を参考にしました。
河井寬次郎の作品は、各地で開催される展覧会の他、京都の『河井寬次郎記念館』で観ることができます。