昆布はどこからどこへ行く③日高昆布
こんにちは!
きょうから8月。昆布漁はこれからお盆くらいまで、スパートかけている時期です。
きょうは日高昆布のお話です。
わたしが初めて昆布産地で漁師にお話を伺ったときの写真です。
えりも町です。
こではでは船から水揚げした昆布をケーブルを使って干場まで運んでいます。
黒い昆布がぶらさがっているのが見えますか?
日高昆布はえりも岬の東から西にかけて、23の浜で水揚げされます。太平洋は波がダイナミックで養殖には向かないのですべて天然です。舟から岩に張り付いている昆布を引っこ抜くだけでなく、岩からはずれて沿岸まで流れてきた昆布を拾う採取法も盛んです。
生産量が多いので、日本でいちばん多く使われていて、スーパーでも買いやすい価格です。
そして、細くなく広すぎないちょうどいい、使いやすい幅。甘味を感じるわかりやすい味わい、やわらかくなりやすいので出汁がらも使いやすい、昆布巻きやおでんを作りやすいと、とりわけ関東で人気の昆布です。
雑誌を見ていると、東京のお店のレシピで日高昆布指定しているのに時折出会います。
運んだ昆布はシーツを広げるようにばさっと、ふわっと、干場に広げます。厚いシーツが濡れているのを想像してください。
重いんです!
丘回りさん(干場の昆布仕事をする人)たちは、なんてことないような感じできれいにぱさっと広げるのですが、わたしには無理でした。
今年の暑さではシンドイだろうなぁ。。。。
さて、えりもの昆布には、ここにしかない誇らしい歴史があります。
明治の初めのころ、入植が本格化したころ、えりもには広葉樹林が広がっていました。人々は寒い冬を生き延びるために、ばっさばっさと木々を切り倒し燃料にしました。そりゃあ、人間の大きさからしたら無限にあるように見えますものね。
ところがえりもは、風がものすごく強いのです。(わたしは一瞬体が浮いたことがあります。ホントに!)
木のなくなった丘は風に煽られ、表面の栄養のある土は飛ばされ、赤い火山灰土だけが残りました。
赤い火山灰土は海に流れ出ます。海の生物には大迷惑。生きていくことができません。
えりもの海から魚や昆布がいなくなったのです。
苦難の日々が続き、土地を離れる人も増える中で立ち上がったのは漁師たちでした。
昭和28年(1963年)、漁師と国によるえりも緑化事業が始まりますが、強い風は漁師たちの希望も吹き飛ばしてしまうほどで、事業は難航します。でも、あたまのいい人はいるものです。
4年後に、木を植える前段階として植える草の上を、なんと海藻でカバーしたんです。肥料にもなります!!いやー、すばらしいですよねーっ!!!
こうして、1970年にはそれまで砂漠と言われたえりもに草原が再生したのです。
そして樹木へ。クロマツが植えられました。
そして今、えりもには昆布の森が広がっています。
相変わらず風は強いんですけどね。
プロジェクトX、2001年3月6日放送「えりも岬に春を呼べ」紹介記事へのリンクです。↓
昆布の水揚げと昆布干しの見学をさせてくださった、えりもの昆布漁師高橋祐之さんはよく「海は山の恋人」と言います。
えりも短角牛の生産者でもある高橋さんは、小さなころからこの話を聞いたり、植樹を手伝ったりしたのかな。
自分ごととして漁場を守ることは森をはぐくむことだと知っていての言葉なのだなぁ。
スーパーで「日高昆布」を見かけたら、えりものことを思い出してみてください。