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ウチにも群来(くき)がきたよー!

江戸時代から明治にかけて、北前船が日本海を「動く総合商社」として疾走し、寄港地が日本の地方文化の交流地としてダイナミックな賑わいを見せていたころ、北海道から本州に運ばれる3大ヒット商品は、昆布、塩鮭、そして鰊粕(にしんかす)でした。

Q1にしんかす、って何?
A1にしんから油を搾った残りです。
Q2何故にしんを搾るの?さかなを搾るってなんで?食べないの?
A2食べても食べても食べきれないほどあったから、絞って油をとって灯りにも使ったそうです。そして、搾ったあとの粕は、畑の肥料にしました。

それはそれはたくさんのにしん粕が北前船で本州へ運ばれました。
もちろん、腐らぬように乾燥させた食べるためのにしんも。
京都でにしんはとれないのに、名物のにしんそば。
こうして運ばれたにしんがルーツです。


そして、にしん粕で爆発的に生産量が増えたのが!!
木綿です!!!
それまでは庶民は麻を着ていたそう。
「まぁ、すてきね、麻の着物だなんて。」と思うなかれ。
夏はいいけど冬は寒い。寒い。
木綿の着物が普及することで凍死する庶民が減ったとか。
(司馬遼太郎・菜の花の沖から)

ということは、にしんのおかげで、日本人の人口は増えたってことです。

さて、それほどたくさんのにしんは、早春になると産卵のために北海道日本海側にやってきました。春の海は白く染まり、大きな網を立てて漁が行われました。

増毛では、一日に一万匹以上とれて、加工したというのだからものすごい。
出稼ぎの人も多かったといいます。

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★写真は一昨日の小樽での来群のようすです。(foto E.Notani)

ところが、1950年代に海は一変しました。にしんが来ない、翌年も来ない。どこへ行った?どこへ消えた。にしん漁で賑わった町から人もいなくなりました。

おもに、取りすぎた・・・?
取りすぎたらどうなるか、誰も気づかなかったのです。
それほどに豊富だっただろうし、沿岸まで来ているにしんを全部とらないなんて考えられなかったと思います。

「昔はね、にしんの群れがやってきて、海岸沿いが真っ白になったんだよ」
おじいちゃん、おばあちゃんに聞くだけだった群来がまたやってきたと聞くようになったのはこの10年ほどでしょうか。
にしんはすっかりよみがえったのでしょうか。
どうして戻ってきたのでしょうか。

21世紀の今、戻ってきた群来がなくならないように皆で考えたり、知ろうとしないと、次回はとりかえしがつかなくなるかもしれないと思うのです。
未来の人たちにも食べてほしいし、味を知りつつ歴史を知ってほしいです。

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塩焼きを食べました。ふわっとして、小骨が多くて。優しい味の魚です。
北海道の春が始まりかけています。







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松田真枝
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