孤独の発明〜ことばとはなにものだ?〜
私(からだ)を大事にするなら、
メイクも、ハイヒールも、いらない。
私(なかみ)を重視するなら、
メイクも、ハイヒールも、いらない。
ならば、なぜ。
我々は見た目にこだわるのか。
それは、たた、視覚のため。
俯瞰する眼=意識・自我のため。
やつらが生まれた瞬間に、
私(からだ)は、やつの奴隷。
ただ、やつらも
ことばがなければ、現れなかった。
おお、そうだ!
私(こころ)は、
ことばを支配しているじゃないか!
――ほ ん と う に?
ことばが、こころを形成するのではないか?
お前が、言葉を生み出しているのか?
言葉が、お前を形作っているのだ!
ならば、
ことばとは、
いったいぜんたい、
なにものなのだ?
参考文献:
『孤独の発明 または言語の政治学』
三浦 雅士
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