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育児で子どもの人生が全て決まる訳じゃない。肩の荷が降りた本

以前の記事でも触れましたが、私は、子どもを産んですぐの頃、子どもの人生は親の育て方で全て決まると思っていました。
子どもは皆無限の可能性を持った真っ白なキャンバスで、親の育て方、関わり方で性格や能力の全てが決まる。

本屋にいけば、「○○できる子に育てる10の方法」「○○力は家で伸びる」等、家庭での親の育て方次第で子どもがどのようにも育てられるという趣旨の本が溢れています。 
(雑誌『President Family』の見出しはその傾向が顕著だと感じます)

実際、20世紀初頭の心理学者であるジョン・ワトソンは、「人の発達は経験による条件付けによって成り立つ」とし、下記のように主張しました。


健康な1ダースの乳児と、育てる事のできる適切な環境さえととのえば、才能、好み、適正、先祖、民族など遺伝的といわれるものとは関係なしに、医者、芸術家から、どろぼう、乞食まで様々な人間に育て上げることができる

Wikipedia より

ワトソンの学説は、保育士の資格試験のテキストにも載っており、権威ある説のように感じられます。

自分の子どもが勉強やスポーツが苦手だったら。友達付き合いができないタイプだったら。泥棒になったら。
全て、親の育て方の責任だと。

これは子育てをする身にとっては恐ろしい重圧です。
そんな思い込みから、解放された本があります。

「子育ての大誤解」
ジュディス・リッチ・ハリス

この本では、子どものパーソナリティーを決定すると旧来考えられてきた要因(家庭環境、生まれ順等)について、双生児や養子の研究を中心とする膨大な論文を分析し、上記のワトソンの学説を含め「子どもの性格や能力は親の育て方で決まる」という社会通念を論破しています。

著者の結論は、子どものパーソナリティーや特質を決めるのは遺伝と非共有環境(学校等、家庭の外の仲間環境)であり、家庭環境が与える影響は少ない、としています。
(もちろん、虐待やネグレクトは別です)

この本を読んで、私の子育てへの無限の重圧は少し楽になりました。
同時に、今まで持っていた「子育てとは柔らかな粘土をこねて形を作っていく」というイメージが、傲慢だったのではないかと思えました。

保育で子どもに関わっていると、0才でも1才でも子どもは既に個性を持っていて、それぞれ発現する時を待っていると実感します。
育児や保育は、柔らかな粘土を形作るのではなく、子どもの中にある堅い芯を見出だしていく仕事なのかもしれない、と今では考えています。

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