#32 【保育と対話(仮)】について

新年あけましておめでとうございます
みなさまにとって幸多き1年になりますように
2022年もどうぞよろしくお願いいたします

毎年、元旦は家族で日本三景の松島へ初日の出を拝みにいくのが恒例となっていますが、雪が積もったため家でゆっくりしています。

20年以上続いていたので、私の地元で大晦日から元旦にかけてここまで雪が降るのはめずらしいかもしれませんね。

さて、昨日書いた【「対話」をテーマにしたnote】について、この探究スタジオで執筆の過程を少し残していきたいと思います。

保育所保育指針について

「保育指針はわかりにくい」

保育学生からよく聞かれる言葉ですし、現場の先生たちもじっくり読み返す機会があまりない中でそう感じる方もいるのだろうと思います。

わかりやすくするのは、入口やきっかけとして機能しますよね。

一方で「わかる」感覚から「理解」へつながり、実践へと結ばれていくには、「わかりやすさ」だけでは不足している側面があります。

それは、保育指針自体が、膨大な情報をシンプルにまとめているという背景があります。

広げて難しく表現してわかりにくいのではなく、ぎゅっとまとめてシンプルにしたが故にわかりにくくなっている面があるので、背景にある膨大な情報量にアクセスしていことが指針を理解する醍醐味でもあるのです。

つまり、指針をわかりやすくする方向に偏ると、余計に「?」が生まれたり、わかったつもりが肥大化しやすいリスクがあります。

保育指針の解説だけでもまだ不足している部分もあるため、知の探索のような保育の本質の理解が、原理原則を敷いたゆたかな保育実践へとつながる知の深化になっていくのだと思います。

例えば、子どもの権利条約や児童福祉法について対話し、向き合い続けることで、指針の内容を理解しようとしなくても「あぁそういうことだったんだ」と掴みやすくなったり、実践の振り返りで「空間や個人にある思い込み」に気づきやすくなったりします。OECDの報告書を見ても、指針とのつながりを発見することができます。

ちなみに「対話」という言葉は、指針と解説で10回ほど使われていますが、そもそも対話とは何か?保育の営みにおける対話とは何か?は書かれていません。

施設長研修でも対話の重要性が扱われますが、受講していると保育現場における対話の理解はこれから深まっていく段階なんだという印象と、すでに対話を軸にした実践を重ねてきている現場と、対話が機能していない現場との乖離が広がっていくことに悲しさや悔しさが湧いてきます。

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保育所保育指針解説で、「対話」にスポット当てて見ていくと、

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私にとっての「保育」という存在にも向き合っていきたい。子どもにとっての「保育」も、保護者や社会にとっての「保育」も考えていきたい。その営み…

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