あなたはリンダと仲良しですか?
どうも私は、リンダと仲良くなれない。
いつも一緒にいるのに、なかなか打ち解け合うことができなくなった。
リンダと私は、物心がある頃から付き合いのある幼馴染。
誕生日も一緒で、母によると私たちは同じ病院で生まれたと言うから、前世では双子だったんじゃないかと思う。
小さい頃、兄姉が遊び相手になってくれなかったときは、リンダは私のためによく駆けつけてくれた。バービー人形やウルトラマンフィギュアよりも、私たちがよく遊び道具にしていたのは98色入りのクレヨン。各色を擬人化しお人形と見立て、「ローズピンクちゃんと、デニムブルーくんはカップル!」というヘンテコなアメリカンホームドラマを作る。ロイヤルパープルの性別は何だろう? レーザーイエローはペットにしようか? ーー 人目気にせず、私たちはクレヨン物語を創造した。最後は決まってディズニーの塗り絵本を広げては、ミッキーの白目をペットのレーザーイエローで塗りつぶした。
好きなものに正直で、人の好きなものにも共感する素直な心を持っていたリンダ。
V6が全盛期だった1990年代、グループ内では森田剛が一番かっこいいと姉が豪語する中で、私は三宅健の方がかっこいいとこっそり言うと、そうだよね! と同意してくれた。
オーケストラに所属していた小学校時代、毎日の放課後と土日が取られるスパルタな練習で心が折れそうでも、リンダはチアリーダーのごとく、しゃかりきに応援してくれた。
身体の成長が著しい中学校時代、身長が伸び、生理を迎えても胸だけは小さいいままで、コンプセックスでスポーツブラを着けていた私に、リンダはポップな可愛いAカップのブラジャーを買う勇気を与えてくれた。
リンダは、人が羨むほど完璧な親友だった。
そんな親友を持つ私は、どこか誇らしかった。
ところが思春期を迎えると、私たちの性格が変わっていく。
私はどちらかと言うと、人に嫌われるのを恐れる八方美人に。誰かがAと言えば賛成し、他の誰かがBだと言えば簡単に意見を変えてしまう。学校の人気者の隣にいる、にこやかだけどあまり記憶に残らないような子になった。
代わってリンダは、人が少々ヘマをするとすぐに揚げ足を取る上から目線な人に。悪口もお構いなく漏らし、規則に厳しい性格の持ち主となった。
強引な説得が得意なリンダと、流されやすい弱気な私。
そんな二人の友情関係は、上手くいくはずがない。
高校時代、学校の成績が思わしくないのに国立大学受験にチャレンジしようとすると、リンダは「あんたには無理だよ」と一喝する。
大学の就活期は、「君は突飛した強みがないから」というリンダの言葉がチクチクと刺さり、憧れだった出版社や編集職の募集要項を見ても、応募しないままその業界を諦めた。
彼女が私にポジティブなエナジーを与える回数はどんどん減っていく。
それどころか、社会人一年目にはリンダのアグレッシブな説得に強さが増すばかりだった。
「新入社員なんだから、誰よりも早く職場に行くのが普通でしょ?」
「彼氏に振られたんだ、へぇ。あんた、そういや完全に彼氏色に染まっていたよね。彼氏がいなくなれば、君はただのまっさらな人間じゃん」
「胸小さいのに腹が出てるとか、キモい! ダイエットしなよ!」
耳が痛い。リンダが囁く言葉に心も痛む。
サシ飲みをしても、押し強いリンダの説得に圧倒されては意気消沈するばかり。
リンダと一緒にいても、全然楽しくない。むしろ苦しいし、惨めな気持ちばかりになる。
あの素直なリンダはどこへ行っちゃったのか。
幼きあのリンダが、恋しい。
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私は、リンダとの友情関係はもう解消したい。
彼女は私に好影響を与えてくれないし、わざわざこんな人と一緒にいる必要性はさらっさらない。逆に、付き合う人は自分で選べるんだから、長い付き合いとはいえ、もっと早い段階で縁を切ればよかったのに、とも思う。
だけど、私はリンダから離れることができない。
それは、リンダは私の中にいる「心の声」だから。
アメリカのあるドラッグクイーンのYoutubeチャンネルを観ていたとき、彼女は「心の声に名前をつけるようにしているの」と言っていた。ネガティブな心の声が聞こえてくると、「シャラップ!」と叫んでは撃退する。そうすることで、ポジティブなメンタルを保てるように奮励努力しているんだと、自分のユニークな心の健康法を紹介していた。
そのエピソードを視聴して以来、私は内に囁く心の声を「リンダ」と名付けた。リンダは、そのドラッグクイーンがいじりネタでよく使う名前で、何だか悪さを企んだ、青アイシャドウをまぶたに馴染むことなく塗りたぐった女性が勝手に思い浮かぶ。悪口ばかりいう私の声にはぴったりな名前だ。そういや、スイス生活で初めてのアルバイトで意地悪だったマネージャーもリンダという名前だった。
好きなことを好きだと言えた自信家の私は、
年齢を重ねていく上で、好きなことを好きだと言えず、
自分のことも好きになれない自信喪失家になってしまった。
それはリンダが私のダメなところを指摘し、厳しく罵っているから。時にはモチベーションが上がり、自分への可能性を信じようと思っても、開花前のポテンシャルを妨げてくる邪魔者だ。何が楽しいのかがわからない。
そんなリンダと、私はどうも仲良くなれない。
いつも一緒にいるのに、なかなか打ち解け合うことができない。
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リンダは、私の中だけにいるとは思いません。
これを読んでくださっている方々の中にも、リンダは名前を変え、トシロウやらテイラーやらユジンに化けては、あなたに悪の言葉を囁いている。彼ら彼女らの声は、やたらと耳にこびりつき、こすぎ落とせないのが厄介だ。その悪影響なメッセージはやがて脳に焼きつき、心を蝕んでいく。次第にあなたの口からも伝達されたメッセージが漏れ、他者を攻撃するようになってしまうーー。ネガティブなエネルギーを含有した侵食者なのだ。
とはいえ、自分の中でリンダを殺害する以外、リンダがいなくなる方法はない。たとえ心理上でも、殺人は犯罪だ。ここはどうやって、リンダとうまく付き合っていくかを考えようとした時、ふとある言葉を思い出した。
世の中には悪い人はいない。良い人が悪い行いをしているだけだ。
これは、自己啓発系ポッドキャスト「One Purpose with Jay Shetty」のあるエピソードを聞いていた時、パーソナリティで元お坊さんのJay Shettyはこの言葉を述べていた。やたら彼の一言が腑に落ちたのか、頭の中にこの教えが残っていた。
振り返ると、リンダは昔、純粋素朴でありのままの自分をさらけ出していたけど、何らかの関係で今の刺々しいリンダになってしまったーー。だから私は、リンダと良好な関係が築けなくなってしまったのか?
自暴自棄になるばかりの私は結論、心理カウンセリングに通うことにした。スイス・チューリッヒの市街中心にある古びたビルの4階、頑張って習得したドイツ語で意思疎通が取れる不安を気にすることなく、私はリンダとの関係修復への道が始まった。
「先生、私の心の声が自信を奪い去っていくんです」
幼少期の優しく素直だったリンダから、著しく暴力的になった思春期のリンダ、そしてその時の環境や状況ーー聞かれるがままに、正直にひとつひとつの質問に答える。女性カウンセラーも、私の自信なさげな目を見ながらソファーに深く腰をかけ、必要がある時だけ淡々とメモを取る。10畳ほどの部屋には、カウンセラーがお気に入りだという観葉植物がたくさん飾られていた。窓の外は、向かいのビル屋上で卓球を楽しむ大の大人たちがはしゃいでいる。
1セッション1時間しか設けられないため、定められた時間内だけでは相談したいことすべてを語ることはできなかった。そもそも私とリンダの関係は、そうシンプルではない。通常、心理カウンセリングは何週にもわたって続けられ、絡まった複雑な問題を徐々に紐解いていく長い作業が必要である。
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私が住むスイスでは、カウンセリングに通うことは決して恥ずかしいことではない。友達と話している時にさらっと伝えても「あぁそう」程度のリアクションだ。実の父が誰なのか知らない複雑な過去とうまく付き合えなかった友人も、赤ちゃんの面倒を見るストレスに耐えられなくなった移民の友人も、カウンセリングのおかげで前が向けるようになったという。
私はアメリカのコメディー・ポッドキャストをよく聞くのですが、多くのコメディアンもカウンセリングに通っている話を持ち出してくる。「仕事のオファーをもらうのが嬉しいけどプレッシャーが……」「彼氏に振られた時、絶望を感じて……」など、私たちにもあるこのような些細な悩みがカウンセリング内容だったりする。
心理カウンセリングは、決してドラマチックな過去を持った人だけが通うべきの場ではない。私がリンダとうまく付き合えない小さな悩みでさえ、カウンセラーは手取り足取り手伝ってくれるのだ。
その反面日本では、心理カウンセリングというと「心の病が重症に至った人が辿り着く場所」と想像する人がいまだに多い気がする。殺菌された白い部屋に白衣姿の無表情なお医者さんが……なんていうステレオな心理ホラー映画のイメージが先行しているのか、周りにカウンセリングに通っている友人は聞いたことがない。表立って物事を言わず風潮があるからか、カウンセリングに通っていることは少しやましいと捉えられてしまうのだろう。
だが、心理カウンセリングは実に気持ちがいいものだ。
部屋に一歩踏み入れると、そこは何を話しても許される安全地帯で、1時間丸々と自分の話を真摯に聞いてもらえる。「男はね〜」とあたかも男性のすべてを知っているつもりで語られる女子会や、「最近の若者は!」と罵倒される会社の飲み会で定番の、個人的な見解と自分本位な主観論で責め立てられることはない。ティッシュ一箱を使い切るほどの涙を流してもいいし、触れて欲しくない内容があったら素朴にその旨を伝えればいい。
心の重荷が降りる、という感覚は毎度のカウンセリング後に感じられる。身体の中で滞っていた悪い「何か」が清らかに流れ去ったかのような、ふっと軽くなった感じ。時にはカウンセリングの中で課題なども浮かび上がり、自分自身を見つめ直す良い機会にもなる。カウンセラーとの相性が良いのもあって、今ではカウンセリングに通うことは、ジムに通うのと同じように日常に組み込まれるようになった。
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リンダはいまだに黙ることはない。この文章を書いている今でも、「お前の文章では人々の心に届くはずがない」と叱咤し続けているから、黙れと叫びたくなるほど鬱陶しい。
それでもカウンセリングに通い始めて約1年半、先生との信頼関係を築き上げるとともに、私とリンダの関係性も少しずつ良い方向へと変わり始めている。彼女の口数は減り、言葉の棘が少し丸くなったように感じるし、私もリンダの一言一言を拾わないようになった。第三者に当たるカウンセラーが感情的にならず、解決への道案内を冷静にしてくれることが救いで、ストレスフルな毎日において息を抜く場所があるのが心強い。
心理カウンセリングをもっと日常にーー。
心のケアが大事になってくる2020年。あなたはリンダと仲良しですか?
忙しないSNS情報社会に生きる私たちが、内に潜むリンダと仲良くできるような世の中になるといいな。
心の重荷が取れない方へ
カウンセリングとともに、下記の書籍・ポッドキャストご覧いただくことをお勧めします。これらは私が個人的に、心の健康を保つ上で助けとなったもので、参考にしていただけたら嬉しい限りです。
<本>
・反応しない練習 草薙龍瞬 著
仏教の合理的な哲学が記された書籍。思い込みが多い人や緊張しやすい人にはぴったりな、生きるのが楽になるマインドセットが記されている。
・Lost Connections Johann Hari 著
自ら鬱病に苦しみ、心療内科や処方された薬に頼ってきた著者。回復を感じられなかった著者は、鬱病を引き起こす本当の原因は何かを突き詰めたジャーナリズム(英語のみ)。
・Feeling Good David D Burns M.D 著
「ストレスを感じるのは物事の考え方に問題があるから」をテーマに、臨床療法を元にしたストレスを減らすマインドセットを紹介(英語のみ)。
<Podcast >
・One Purpose with Jay Shetty
自己啓発系ポッドキャスト。恋愛、健康、トラウマからの克服など、人生にまつわる多岐なテーマをもとに、誰もが抱えているであろう悩みに答える番組。パーソタリティは元お坊さんというのも興味深い(英語)。
<おまけ>
・UNHhhh
私に「リンダ」という名前を見つけ出してくれたドラッグクイーン・KatyaとTrixie Mattelの動画シリーズ。腹を抱えて笑ってしまう、私にとってもう一つのセラピー。