読書日記その561 「黒い雨」
じつを言えば、本作は高校のときに一度読んでいるのである。そして太宰治「人間失格」と同様に、とてもショックを受けた記憶がある。
ところが「人間失格」の内容はしっかり覚えているにもかかわらず、なぜか本作の内容はショックを受けたわりには、あまり覚えていないのだ。
「原爆が落ちた」「熱くて川に飛び込んだ」「黒い雨が降った」。覚えているのはせいぜいこれくらい。なぜだろうか。
それが今回再読してみてわかった。本作は原爆の悲惨さ、そしておぞましい描写がこれでもかというくらい、次から次へと飛び込んでくるのである。
そのあまりの多さに辟易して、ため息がもれるほどだ。そしておそらくその描写の多さが原因で、記憶が時間とともにかすれていったのだろう。
とはいえ、戦争の凄惨さ、原爆の恐ろしさをこれほど語る小説は他にはあるまい。本作は作者である井伏鱒二氏が、主人公のモデルとなってる重松静馬さんの日記をもとに、50人以上の被爆者に取材をして完成させたという。
ということは、そう、井伏氏は原爆を体験していないのである。井伏氏は実際に体験していない自分が、このような小説を書いていいのだろうかと葛藤があったという。
しかし取材を進めていくうちに、自分はこの未曾有の悲劇の記録者であらねばならない、と思うようになり、本作を完成させたという。それはきっと井伏氏が広島出身だったこともあるのでは。
自分の生まれ育った地が原爆によって変わり果ててしまったことも、同氏の心を後押ししたであろう。そして本作の執筆は、同氏にとっていつしか使命へと変わったのではなかろうか。
ボクは本作を、おぞましい描写があまりに多いと前述した。しかし実際の被爆者からすると、本作の内容は実際の出来事のほんの一部で、物足りない、と語ったそうだ。いやはや、これでも物足りないというのだ。
そうだろう。そうだろう。戦争の本当の悲惨さというのは、実際に体験しなければわからないものである。文章や映像ではとても語りきれないほど、本当に想像を絶するおぞましいものなんだな。