月のゆりかご 波の子守唄
月のゆりかご 波の子守唄
文・絵 hoho
(約1930文字)
あれからどのくらい
桜の季節が巡ってきたのでしょう。
今年も桜の花がほころび始めました。
丘の上にあるしだれ桜の木には
毎年、お話をしにくる親子がいました。
いつも楽しそうに笑ってこちらを見上げる
少女とお母さんです。
でも、今年の春は少女ひとりきりです。
お母さんの姿はありません。
少女の首には
しだれ桜の花びらをつなげて作った
首飾りが風に揺れています。
少女はとてもさみしそうに
とても大事そうにその首飾りをながめます。
「これはね、お母さんが作ったの。
でもお母さんはね
お月さまに帰っちゃったの。」
しだれ桜は知っています。
いつだってここで、この親子を見てきたのだから。
少女はしだれ桜を見上げていいました。
「ねぇ、おねがいがあるの。
お母さんの好きな海に一緒にいってほしいの。
お母さんの好きなお花にあいたいの。」
「うん、いいよ。」
ひとひらの花びらは
はらりと少女の手のひらに舞い降りました。
少女はその花びらを大事にそうっとそうっと
首飾りにつなげます。
お母さんがいつもそうしていたように。
そして少女と花びらは
川ぞいを歩いていきました。
少女と花びらは浜辺に着きました。
水面がきらきら輝いています。
緑の草原が風に揺れています。
でもどこにも花は咲いていません。
少女ががっかりしていると
花びらは言いました。
「その花の名前は、ハマシオンだよ。
秋の風が吹くころ
ここで花を咲かせて海を見てるんだよ。」
秋は、お母さんのお誕生日のある季節です。
ふと、少女は足元に
小さな小さなつぼみたちをみつけました。
「ここにいたのね。
お花が咲くころ、またあいに来るね。」
小さなハマシオンのつぼみたちは
潮風に揺られて
「うん」と
うなずいてくれたように見えました。
季節が変わり
風が涼しげに頬をなでます。
秋の訪れを知らせるように。
少女はまた
あの浜辺にやってきました。
あれから何度も何度もここへ来ては
ハマシオンのつぼみが開くのを
心待ちにしてきたのです。
そしてその日、少女の目の前には
たくさんの薄紫色の小さな花たちが
まるでハミングするように
揺れて笑っていました。
「わぁ、咲いてる!」
少女はうれしくてうれしくて仕方ありません。
その花の色はお母さんの大好きな色でした。
少女が大好きだった
お母さんのワンピースと同じ色です。
ハマシオンは海を眺めながら
波の音に耳を澄ませるように
風に身をまかせています。
少女にはお母さんのワンピースが
ひらひら揺れているように見えました。
9月はお母さんが生まれた季節です。
少女はしばらくの間
ハマシオンの花そばで
一緒に海を眺め、波の音を聴きました。
お母さんの好きな海
お母さんの好きな音
お母さんの好きな花
お母さんの好きな色
お母さん
お母さん。。
少女はとてもとても
お母さんに会いたくなりました。
目からぽろぽろ涙がこぼれます。
「お母さんはもういないんだ。」
そう思えば思うほど
大好きな笑顔が浮かんできます。
いつのまにかあたりはすっかり
うす暗くなっていました。
その時どこからか
「もう泣かないで。顔をあげて。」
と優しい声が聴こえました。
少女が顔を上げると
薄紫色の空にお月さまが浮かんでいます。
それは優しいお母さんの
笑顔のようでした。
「私の大好きなかわいい子
悲しまないで。
私はいつでもここにいる。
ここにいるからだいじょうぶ。」
その声はとても優しく
波の音にのせた子守唄のようでした。
いつも眠りながら夢の中で聴いていたあの声です。
少女はほっとしたように目をつむります。
月あかりが優しく少女を包みます。
少女はまるでお母さんの腕のなかに
すっぽり包まれたような気持ちになりました。
月は眠る少女を
いつまでも見守っていました。
時はいくどか巡り
あたたかな桜の季節が、またやってきました。
今年もあの少女は、丘をかけのぼって来ます。
そしてしだれ桜の花を見上げて
うれしそうに笑います。
「また逢えてうれしいな。
話したいことがたくさんあるの。」
しだれ桜もその笑顔を見て
うれしくなって、ほほ笑むように枝を揺らします。
少女の胸には
あのころより長くなった
花びらの首飾りが風になびいていました。
もう少女は
あのころほどさみしくありません。
あのころほど泣き虫ではありません。
それは、お母さんがお月さまのように
いつも見てくれていると知っているから。
大好きな場所で
大好きな花たちが
変わらずにそこにいてくれることを
知っているから。
時に悲しくなったら
あのしだれ桜とお話ししよう。
時にさみしくなったら
あの浜辺へまた行こう。
おしまい
一年前の今日
月へ帰ってしまわれたumi no otoさんへ
お花の代わりに届きますように。