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ここに映画があるから11 『帰れない山』
2025 年 Amazonprimeにて配信鑑賞。※ネタバレあり
お正月休みに何気なく観て、こんなに心が動かされると思っていなくて、少し動揺しました。
あらすじ
大都市トリノに住むピエトロ。夏休みはいつも父母と、アルプスの麓の村で滞在する。そこは羊飼い以外の仕事がないような限界集落である。昔は183人いた村人が今では14人になった。道路ができて人が村から出ていってしまったという。そこでピエトロは、叔父に預けられた少年ブルーノと出会う。二人は12歳。
運命的な出会いである。
人が去り見捨てられた村には、たくさんの廃屋がある。二人は廃屋を探検してまわる。野山を駆けまわり、倒木で川の水を堰き止めてみる。さんざん走りまわっていると「ブルーノォ」と彼を呼ぶ声が山間にこだまする。伯母さんが彼を手伝いに呼ぶ声だ。
冬。トリノのマンションで陰鬱な時間を過ごすピエトロ。それは彼の山好きな父親も同じだった。都会の渋滞にうんざりし、いつも渋面で怒鳴りちらしている。
また夏がめぐってくる。山にいる時の父親は快活だ。父親はピエトロとブルーノを氷河登山へ連れて行く。山に慣れたブルーノは軽々と氷河を飛び越え、高山病でふらつくピエトロは氷河の境目に落ちそうになって下山をよぎなくされた。
学校を落第したブルーノを心配して、ピエトロの母親は、ブルーノに読み書きを教えるようになった。こうしてピエトロ一家と家族ぐるみでつきあうようになったブルーノ。両親はさらにブルーノを学ばせたいとトリノの学校に入れて生活や学費の面倒を見ると言い出す。
ブルーノの父親が彼を出稼ぎに連れ出したことから、二人の夏は突然終わりを告げた。その後一度みかけたブルーノは田舎の職人になり、都会の学生になったピエトロとはまったく違う人生を生きていた。思春期を迎えたピエトロは、父親との登山も嫌になり、村に行くこともなくなった。もはや交差することがないと思われた二人の人生が、父親の死をきっかけに交わりはじめる。
父は、ピエトロが31歳の時、62歳で亡くなった。ピエトロが何者かになりたいともがき、まだ学生のような生活を送っていた頃だ。ピエトロが両親のもとに寄り付かなかった時期、ブルーノはピエトロの両親の元を足しげく訪れて支え支えられてきた。ピエトロの父親とは、ともに登山に行っていたことも明らかになる。
父は、人里離れた山中の土地を買い、ピエトロに遺していた。ブルーノに、崩れ落ちた小屋を解体して、新たに石積みの家を建てるようにと言い遺して…。
この後の二人が辿った心の彷徨をなんと言い表せば良いだろう。かけがえがないという言葉が、これほど姿を成して差し出されるとは!
ブルーノはピエトロに「べリオ」という呼び名をつける。誰かのことを特別な名前で呼ぶ、なんて素敵なことだろう。ブルーノがピエトロを「ベリオ」と呼ぶ声とともに、永く心に刻まれる映画の一つになった。(注釈:これは、BL映画ではないです)
この映画の原作
原作本があると知って、読んでみることにした。イタリアの作家パオロ・コニェッティの同名作品である。わたしは、映画→原作の順番が好きだ。単純に映画より内容が多いからである。
この映画の描写はかなり原作に忠実であることがわかった。山野や朽ち果てた集落の様子、二人が建てることになる家も原作の描写に沿って繊細に作られている。
原作を読んで深く理解できたのは、ピエトロの両親のことだ。なぜあれほどブルーノを気にかけていたのか?それはピエトロの父自身が孤児で、それを気にかけてくれる人がいて、成長してきたこと。彼は親友を山で亡くしたこと。その親友の姉と結婚することになったこと。そんな背景を知ることで、更にこの映画への愛情が深まった。
クラカワ―の「荒野へ」との親和性
原作の後書きを読んでなるほどと納得したのは、「帰れない山」原作とクラカワーの「荒野へ」との親和性だった。コニエッティは、「荒野へ」を読んで心を動かされ、山小屋での一人暮らしをはじめたという。その後書かれたのが「帰れない山」だ。
クラカワーの「荒野へ」も、どうしても文明社会に馴染めず、僻地の荒野に行き場所を求める若者の話だった。寂寥たる読後感にも関わらず、何か清々しい命の輝きを感じたのだが、この「帰れない山」にも同様の感動がある。部屋の隅で目を瞑って、彼らが生きた時間、感じていた孤独の深さ青さをいつまでも感じていたいと思う。
田舎の山の思い出をnoteに書きました。