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父はADHD?10 実家崩壊の悪夢

2014年夏は、悪夢のような夏でした。父の物忘れの進行発覚と同時期に、Aさん(母の死後家事を担ってくれていた方)の大腿骨骨折による入院がありました。わたしたちは母の死後10年余り、お盆とお正月に家族と帰省するだけでした。父の家事・お世話を全面的にAさんに任せることができていたからです。

その期間もずっと言っていました「Aさんには、本当にお世話になっている。感謝の言葉もない」と。わたしたちは帰省して3,4日も父と一緒にいると参ってしまうので、Aさんには毎日、父のことでどれほど迷惑をかけていることかと心配もしていました。

父が「ぜんまいをいっぱい採ってきてな、Aさんに煮物にしてもろたんやー!」と嬉しそうに宅急便を送ってくれたりする時に思い浮かべる情景は、ドロドロの恰好で帰ってきた父が、すべてを適当に脱ぎ散らかし、道具を投げ出し、ずくずくのぜんまいをバーンっと食卓に広げて、自分はさっさと昼寝をする様子です。「あぁAさん、ごめんなさい」と手を合わせていました。この情景は、ぜんまいに限らず、日常的に展開していたはずです。

宅急便を送るのだって、すべての段ボールをぐしゃぐしゃに引っぱりだして、元には戻さず、隙間に新聞紙を詰めるだけでどうしてこんなに散らかるん?というほど散らかした挙句の宅急便(のはず)です。でもAさんは「お父さんは娘に送ったるねんって、はりきってたわ!」と笑ってくれていました。これがどれほどの幸運だったのか、何度でもここに書いておかなくては。

Aさんがお辞めになったので、姉妹が交代で月に1週間ぐらい帰省することになりました。その間、父に洗濯機の回し方、洗濯物の干し方を教えて帰ります。夏なので、冷蔵庫のものの出しっぱなしも気になっていました。食べ物は、父が近隣のスーパー(車で20分かかるけど)に行って買って帰ることでなんとかなるはず。運転だって気になるけど、今はそれには目をつぶる…。

わたしたちが帰省できない間は、近隣に住む伯母たちに時々様子を見に行ってもらうことにしたのですが、その伯母からすぐに電話がかかってきます。
「あんたらが帰って1週間も経たんけど、すごいことになっとったわー。とりあえず流しの洗い物をして、洗濯して帰ったけど。カビ生えとるしなぁ」

カビぐらいでは死なないよねと、しばらく様子を見ていましたが、伯母が音を上げて電話をしてきます。「おばちゃんも、もうそんなに見にいったられへんわー。暑いし足痛いし」。

伯母も82歳。夏のことでしたから、父のところに歩いて行くのもひと苦労。これは娘たちがどうにかしなさいよというサインです。それは本当にそうです。ごめんなさい。

仕事もあったので、2週間後にわたしが見に行くと。
つづきは下記より。


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