![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/159636679/rectangle_large_type_2_8d5162b0ad46ffab16ae3e015164986b.png?width=1200)
父はADHD?15 ビニール紐と長すぎる通夜の挨拶
母は66歳で亡くなりました。30代の半ばから体調の不良に苦しみ、40代で内臓疾患がわかり、最期は癌でした。几帳面な人だったので、ぎりぎりまで家計簿をつけ、父の仕事の経理をしていました。
母の最後の入院の3週間。わたしたちは、自分の病名や余命を知らない母を守るように個室に入れて、日中は姉妹の誰か、夜間は仕事を終えた父が毎晩、病室に詰めていました。父は、夜中にトイレに起きる母に気付かないので、気付けるようにビニール紐で母と自分の手首を緩く結んでいました。
父の大きないびきと、夜中の騒動(バタバタ、どかどか、ガッシャン)のせいで、父母は何十年も同じ部屋で寝たことがありません。その時、母はすでに半ば意識混濁していたので、父のいびきも関係なくなったんですね。
病室で母はよく「お父さんはいつくるの?」と聞いて、父が来るのを待っていました。
母が亡くなる直前、母の呼吸が荒くなって苦しそうになったところで、父は「オレはもう無理や…」と言って、わたしを残して病室を出ていきました。すぐ戻ってくると思っていた父は、母が亡くなるまで戻ってきませんでした。「お父さんは、なんでいつもそうなんだろう?こういう時に逃げる」。
母の通夜は、1月の寒い夜でした。建物に入りきらない人が、外で立って母を送ってくれました。通夜の時の父の挨拶は、母の生い立ちにはじまり、父との出会い、どんな風に母が父の仕事を手伝っていたか、どんな人だったか、あれやこれや思いつくまま…。10分経っても終わりません。
思い出に浸っていたわたしたち姉妹も、さすがにざわめきました。いくらなんでも長すぎる!寒い中を立って待つ人のことが気になって、父が何を言っているのか耳に入らなくなってきました。
そして通夜から葬儀の間、父は人目もはばからず4度泣きました。父が泣いたところを、一度も見たことがなかったわたしたちはびっくり。
後日、近所の人から「それにしてもお父さんの挨拶、長かったなぁ」と言われます。ほんとうにそれが人の話題になるほど長かったのです。節目節目での父の行動は、やっぱり風変りで、そのせいでわたしはその瞬間をいつまでも鮮明に覚えています。
お父さんはADHD?つづきはこちらで。