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父はADHD?15 ビニール紐と長すぎる通夜の挨拶

母は66歳で亡くなりました。30代の半ばから体調の不良に苦しみ、40代で内臓疾患がわかり、最期は癌でした。几帳面な人だったので、ぎりぎりまで家計簿をつけ、父の仕事の経理をしていました。

母の最後の入院の3週間。わたしたちは、自分の病名や余命を知らない母を守るように個室に入れて、日中は姉妹の誰か、夜間は仕事を終えた父が毎晩、病室に詰めていました。父は、夜中にトイレに起きる母に気付かないので、気付けるようにビニール紐で母と自分の手首を緩く結んでいました。

父の大きないびきと、夜中の騒動(バタバタ、どかどか、ガッシャン)のせいで、父母は何十年も同じ部屋で寝たことがありません。その時、母はすでに半ば意識混濁していたので、父のいびきも関係なくなったんですね。

病室で母はよく「お父さんはいつくるの?」と聞いて、父が来るのを待っていました。

母が亡くなる直前、母の呼吸が荒くなって苦しそうになったところで、父は「オレはもう無理や…」と言って、わたしを残して病室を出ていきました。すぐ戻ってくると思っていた父は、母が亡くなるまで戻ってきませんでした。「お父さんは、なんでいつもそうなんだろう?こういう時に逃げる」。

母の通夜は、1月の寒い夜でした。建物に入りきらない人が、外で立って母を送ってくれました。通夜の時の父の挨拶は、母の生い立ちにはじまり、父との出会い、どんな風に母が父の仕事を手伝っていたか、どんな人だったか、あれやこれや思いつくまま…。10分経っても終わりません。

思い出に浸っていたわたしたち姉妹も、さすがにざわめきました。いくらなんでも長すぎる!寒い中を立って待つ人のことが気になって、父が何を言っているのか耳に入らなくなってきました。

そして通夜から葬儀の間、父は人目もはばからず4度泣きました。父が泣いたところを、一度も見たことがなかったわたしたちはびっくり。

後日、近所の人から「それにしてもお父さんの挨拶、長かったなぁ」と言われます。ほんとうにそれが人の話題になるほど長かったのです。節目節目での父の行動は、やっぱり風変りで、そのせいでわたしはその瞬間をいつまでも鮮明に覚えています。

お父さんはADHD?つづきはこちらで。


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