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[場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)・緘動(かんどう)・発達障害・不安障害・不登校などの生きづらさ]への理解 第17話 「無責任なことば」


(ご理解いただけたら、周りの方に伝えたり、この投稿をシェアしていただけるとうれしいです。)

長女は4歳の時、幼稚園入園をきっかけに場面緘黙症・緘動(※1)を発症しました。
二女は8歳の時分離不安障害(※2)と診断されました。
※1:家庭などでは話すことができるのに、社会不安のために、ある特定の場面、状況では話すことができなくなる疾患。強い不安により体が思うように動かせなくなる「緘動(かんどう)」という症状が出る場合もある。
※2:分離不安障害とは、愛着のある人物や場所から離れることに対し、過剰な不安と苦痛を感じる精神医学的障害のひとつ。
症状のでかたや困難さはそれぞれかと思いますが、娘の場合を伝えていきます。



そこに至るまでの
そのあとの

心がどんなか。

ほんの少しだけ想像力を働かせてほしいのです。

嫌なのか、心配なのか。
甘えているのか、訴えているのか。

自尊心に働きかけ、

「私だってできるもん!」と成功するパターンは数あるでしょう。

だけど当然、そうとは限らないこともあるのです。

すごいとほめられるためでもなく、
がんばったとねぎらってほしいわけでもない。
できた自分をほめてあげようなんて考えてもない。

不安や緊張と戦い、ただ、やるべきと感じたことを必死な思いでやろうとしている。
それだけ。

背中を押そうとしてくれるのは分かります。

でもその激励が、その相手に、そのタイミングで投げかけられ、勇気に変わるのか。

「もう○歳なんだからできるよね」

「自分で決めなくちゃ」

「○歳の小さな子だって上手にできるよ」

そんな声かけで奮起してやれるなら、もうとっくに乗り越えてるよね。

それでも、私には出来なかった…と感じなければならないような言葉を簡単にはかけないでほしいのです。

積み上げてきたものを壊すのは一瞬。
また積み上げるのに必要なエネルギーは、とてつもなく大きい。

腫れ物にさわるように接してほしいとは言いません。
どんな職業や立場であっても、これまでの経験や多数派のやり方で押しきろうとする姿は、とても薄っぺらだと思います。

「専門の機関で見てもらってください」とアドバイスするのもひとつだと思います。
ただ、頼ってきた目の前の人に何か手助けをしたいと感じるのなら、あきれたように突き放すのでなく、繋いでください。
繋がれる情報と共に、対応しきれないことを誠実に正直に伝えてほしいのです。

あなたができないように、この子たちもできないのです。

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例は、娘のケースです。
全ての当事者の方に当てはまるわけではありませんが、知ってもらうことはとても大切だと改めて感じ発信させていただきます。

(注)私たち家族は長女が診断されて以来、下の二人の娘も含め、療育、相談、医療の機関に定期的にカウンセリングに出向き、登校できなくても、在籍する学校の先生と連携を取っていただいています。

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hohimaro ほひまろ|おうち育ち実践中
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