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もちつき、尻餅をつく

年末、年の瀬。
毎年12月28日は餅つきの日。これは昔から決まっている。4、5年前まではお寺で杵と臼を使い、餅米を蒸しながら20臼以上ついていた。
しかし、準備から片付け、当日のつき手のことを考えるとそれなりの人数と力のあるメンバーが揃わないと継続が難しく、最近では量を減らし機械を使ってついている。

今年も機械を使い三升の餅を4臼分ついた。機械を使えば家族3、4人いればどうにかなる。鏡餅をいくつか作り、のし餅も作った。
その餅を一晩寝かせて少し硬くなったところで飾るためそして食べるための準備をするのが29日と決まっている。

翌朝、バットに乗せて運んでいた。
二階から一階へと運んでいたのだが、二段重ねで若干重い餅を両手に抱えて一段一段降りていた。下から3、4段目に差し掛かりあと少しだ、と思ったその時、

つるっ

素足にビニール袋の感触がした。

次の瞬間、両手に餅の入ったバットを抱えたまま尻から階段の角へと落ちた。

ドン。ガッチャーン!

どうしたの?と駆け寄る妻と子供。
救急車呼ぶ?
2、3度繰り返し聞かれるが、その判断ができる状況ではない。

声が出せる状況ではなく、痛みでうずくまっていた。
右耳にボワっと膜が張ったような感覚がして音が聞こえにくくなった。


人は痛い時は痛いだけなんですね。ほんと。
それだけ。その時はそのことだけ。
その後、正月乗り切れるのか、動けるのか、救急車を呼ぶのかなど考える。

結果、時間と共に痛みは治り動けるようになったので片尻浮かせていればどうにかなっているのが現状。


人の悩みや問題が発生するのは、こうした出来事が起きたあとであることをしみじみ感じた。

尻餅をついた時は、誰がとか、誰にとか一切なく痛みだけ存在している。ただそれだけ、その後人はきっと誰かのせいにしたくなるのだと思う。責任の所在を確認したくなる。

このビニール袋を階段に置いたのは誰なんだ、
いっぺんに運ぼうとした自分に後悔、
餅つきをした後悔、
生まれてこければ、

こうして人は問題を作り自分や他人を攻撃して苦しむのですね。

学びの多い10秒の出来事。

まだ尻が痛い。

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