久しぶりに雑誌を買った『GENIC vol.61伝わる写真』
何年ぶりだろう?紙の雑誌を久しぶりに買いました。
なにか考え事をしていて「伝わる写真」というキーワードで検索したら出てきたものです。デジタル版は無く、仕方なしという気持ちでバックナンバーを買いました。結果的には良かったという話。
家に残っている紙の雑誌は、一番新しいものでカープの特集をしたNumberでした。
「伝わる」って?
写真に対する考え方は人それぞれだと思うけど「伝わる」って大事なことだなと思います。
「便利」が好きな自分にとっては「上手い写真」とか「綺麗な写真」よりも「役に立つ写真」が好きなわけですが、そのうちで「伝わる」って大事な要素だなと。
本誌には数々の写真家のコメントがあるのですが・・・
のっけから特集企画の根幹が否定されるようなコメントもあり、率直でいいな、と編集のスタンスにも好感がもてます。
それでも、結果として何かが「伝わる写真」ってありますよね。
全体的にはプライベートな家族写真が多くて、「写真」=「思い出」的な文脈にまとまりがちでしたが、自分なりに考えたこととしては、
『被写体自体が魅力的(興味深く)に見える』
ということが「伝わる」上でとても大切なことなのかな、と。
手段が目的化することへの食傷
デジタルカメラマガジンみたいな雑誌をKindle(まさにデジタル)で見てると、「レンズやカメラの性能と絶景やらエモいやつ」の組み合わせのオンパレードで食傷気味になるけど、このGENICという雑誌はもう少し作家性にアプローチしていて、受け取るメッセージが違ってきます。
「写真を観る」という体験が、見る人にもたらす結果として、
『被写体をリアルに眼前にイメージして、そこに何かの感覚が生まれる』
みたいなことが「伝わる」ってことなのかな?「朽ちた華」と通念化の衝動で引用した、伊藤整氏の言葉にこんなのがあります。
つまり「通念化」された時点でそこに映っている被写体は、記号化してしまい、見た人に記号を理解する体験しか提供しないのでは?
それが、「その一瞬間に私を動かした小さな紫色の花の不吉な感じ」をとらえることが出来た写真であれば、きっとちょっと一般的な綺麗な菫ではない写真が撮れて、それは写真であることを越えて「被写体そのものを見た体験」を見る人に与えることができるんじゃないかと。
それが「伝わる写真」ってことかもしれない。
しかし、美術館でのアート体験と一緒で写真自体を見ている時間より、文字を読んでいる時間が長いよね、と思う。雑誌ってw
でも、その文字も一瞬を正確にとらえていて、被写体から受けた自分自身の一瞬の心の動きを表すものであれば、写真と文字の組み合わせってそういうものだと思います。例えばそこに音楽があって時間を制御していても、そういう組み合わせによる体験もあるよな、と。
ここ数年、主にアイキャッチ画像の素材を撮り続けて、世界中のいろんなWebメディアに使われるようになりました。
自分が作っている画像の「便利さ」はきっと、記事のテーマ(マーケティングとかビジネス系が多いのですが)を日常のシーンに貼り付けるような役割を持っているのではないかなと思えてきました。作ってる本人としてはさすがに飽きてきたけど。
今回購入したのは「サスティナブル版」ということで、流通過程で傷がついて返本された在庫らしく少しお安く手に入りました。これはこれで、いいことですよね。
転売ヤー対策もしていて、そんなところもいいなと思いました。
ちなみに、取り上げられている作品はフィルム撮影と思われるものが多いけど、それが特に何か「伝わる」ことに意味があるかというと、そういうことでもなさそう。フィルム時代の方が丁寧にシャッターを切っていたのは確かにそうかもしれないけど、デジタルの方が自分で現像するので行ってこいでチャラな感じ。