分かりあえない相手とは、分かりあう必要はありません。
分かりあえない相手とは、絶対に分かりあう必要はありません。
なぜなら、絶対に分かり合おうとすると、相手か自分のどちらかに無理が生じるからです。
かくいう私も以前は、人と分かりあえないときは、双方の意見の落とし所を探るために、いつも必死でした。そして大抵の場合、双方の関係を保つために、自分が折れて、相手の言い分を飲み込んでいました。
「相手に嫌われたくないな」「自分が折れて解決するなら、それでいいか」など、相手の要望に自分を寄せることで、溝を埋めようと必死だったのです。
けれども、自分の気持ちを抑圧することで、私はドンドンしんどくなりました。なぜなら「相手に嫌われてはいけない」「相手を喜ばせないといけない」という固定観念すら持つようになったからです。
「自分がどうしたいか」より「相手にどう寄せられるか」ばかり考え、次第に、人間関係がドンドン息苦しくなってしまったのです。
そのときです。私の理解者でもある妻がこう言ってくれたのです。
「分かりあえない相手とは、無理に分かりあう必要はないよ」
私は目からウロコが落ちるような感覚を覚えました。そうか、必ずしも分かりあう必要はないのかぁ、と思わず膝を打ちました。
また、心療内科医であり、作家の鈴木裕介さんは、次のように言います。
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私自身は「他人には多少嘘をついてもいいけれど、自分に嘘をつくのはよくない」と思っています。
苦手な人に、面と向かって「苦手」「嫌い」と言うのは角が立ちますが、「苦手である」「違和感を感じている」ということだけは、自分の中の事実としてはっきり認めてしまったほうが健全です。
大人の世界では、「仲良くないけれど争わない」という状態のほうが多いはずです。仲良くなくても、心の中で嫌っていても、多少悪口を言っても、表立って喧嘩していなければ、それだけで十分に合格点ではないでしょうか。
『我慢して生きるほど人生は長くない』(鈴木裕介著)P72~73から引用
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これにはハッとさせられました。
「みんなと分かりあうための努力をしなければいけない」ずっとそう思っていました。けれども「グレーなゾーンがあってもいい」という鈴木先生の言葉が、なんだかとっても腑に落ちたのです。
それ以来、私は人間関係で大切にしていることがあります。
それは「”分かりあえない”ことを許容する」ということです。
無理に相手に従うことも、もしくは相手を従わせることはしない。意見が平行線のままであることを、そのまま許容するようになりました。
この意識を持ってから、人間関係がずいぶんラクになりました。溝を埋めるために、あれこれと頭を悩ませる必要がなくなったからです。
相手を説得するためにやきもきする必要もないし、納得していないのに従う必要もない。
「意見が違うことをそのまま放置する自分」を許せるようになったのです。
さて、お互いの意思を尊重する人間関係を築くうえで、大切な基本ルールがあります。
それは「自分の問題は自分が引き受け、相手の問題は相手が引き受ける」というものです。
当然のことですが、人間には「自分のことを自分で決める権利」があります。
ですので、自分の問題について相手が介入してくるようであれば、その介入に対して「NO」を言う権利が自分たちにはあるのです。
逆も然りですね。もし相手の問題に対して、自分が介入してしまったのであれば、相手は自分に対して「NO」を言うことができるのです。
このように、自分と他人の間の領域を、心理学では「境界線」といいます。この境界線を明確にし、各々の責任と権利を尊重した関係を築くことが、健全な人間関係を築くうえで大切なのです。
とはいえ、なかには、「境界線を明確に引くことができなかった」ということも多々あると思います。
たとえば「相手にNOと言いたかったのに、相手を前にすると言うことができなかった」ということもあるでしょう。
そんなときは凹みますよね。「NO」を言えなかった自分に辟易とするかもしれません。
けれども、あなたがNOといえなかった背景には、きっと心の傷があるのです。だからNOを言うのが怖かったのだと思います。
ですので、そんなときは「NOというのは怖かったよね」「そして言えなかったこともツラかったよね」と、自分の悲しさやつらさをそのまま受け止め、ねぎらってあげてほしいのです。
NOといえずにツラかった想いを知っているのは、あなただけです。だから声にならないそのツラさを、ぜひ受け止めてあげてほしいのです。
そうやって自分のありのままの気持ちを大切にすることは、自分の心の領域を守ること、すなわち境界線を明確にすることにもつながります。ですので、つらいときほど、自分のそのままの気持ちを受け止めてあげてほしいなぁと思います。
最後に金子みすゞさんの童謡を紹介させてください。
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『私と小鳥と鈴と』
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私。
みんなちがって、みんないい。
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「わかりあえないことを許容すること」は「人も自分も尊重すること」でもあります。
相手の考えも受けいれたうえで、自分の考えも尊重することは、まさに「みんなちがって、みんないい」という共生の考えと通ずるところがあるのではないでしょうか。
一朝一夕で身につく姿勢ではないかもしれません。
けれども、一歩ずつ近づいていくことは、必ずできます。
自分も含め、皆の想いが尊重されるような考え方を、少しずつ身につけていきたいものですね。
今回の参考図書はこちら▼
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