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自分の理性に拍手。
私が10歳だったか。
抑うつが酷くなり、布団から出られなくなったハハをチチが「甘ったれやがって、このクソ女!」と罵倒し始めた。
私は反射的に7歳の妹を抱えて近所の公園に駆け込んだ。
小さな公園で、ブランコと鉄棒しかなかったけれど、そこのベンチで妹を膝に乗せ、
「ちょっとここにいようね」
と頭を撫でた。
今考えたら、7歳で姉に抱かれて平気でいる妹はやはり発達の遅れがあったかもしれない。
(たぶん、ふつうならもう恥ずかしがる)
本当に反射的に妹を抱えて走った。
日常的にチチがハハを罵倒したり物を投げつけたりするのを見ていたため、私はここにいたら危険だと思い、筋肉質の妹を抱えあげ(ちなみに私はかなりの痩せ型でガリガリだった・笑)全力疾走した。
本能だったと思う。
危険だと。
同時に理性が働いていた。
幼い子供が見るものではないと。
自分より小さい者に見せたくないと。
私は妹を守った。
しかし、ハハには違う風景に見えたという。
「お前は…お前は私を捨てたんだ!!
暴力を受ける私を捨て、妹だけを助けた!
お前は私を捨てた!!
だから、殺す!!」
そう言ってハハは17歳の私に馬乗りになって私の首を絞めたのだ。
私はその時、もう交感神経が働かなかった。
背側迷走神経のみが私を支配し、私の口からは、
「いいよ…殺して
生まれてきてごめんなさい
疲れました…」。
不動化が起こった。
同時にそれでもハハを憐れむ気持ちもあった。
私を殺して彼女が満足なら、殺させてあげようと思った。
おそらくハハは妹のことは可愛がっているから妹までは殺したりはしないだろう。
逆らえない神経系の働きと同時に、理性もカチカチ働いていた。
結果としてハハは狂ったように大声で、
「自分だけ楽になろうってのか!
このクソ女め!
ギャァァァァァァッッ!!
グアァアアッ!!
ウオォォォォォッッツ!!」
そう言って手を離した。
だから、いま私は生きている。
私はADHDを持っていて、おそらく脳の前頭前野の働きは並の人より鈍い。
しかし、あまりにも本能的(反射的)な反応と理性的(前頭前野)の反応がマッチして、『人として』の理に外れずに答えを出して生きてきたことに自画自賛していいと思っている。
今だに破壊的な(自己も他者も)行為に依存せず、地道に治療に取り組もうと生きている自分には自分のリョウシンには欠けていた『自分を律する理性』を感じる。
カウンセリングでも言われる。
「あなたは理性の人だ」。
と。
もちろん、本能にも利点や美点はある。
ただ、私の「よし」とする理(ことわり)は人の道から外れないこと。
幼い頃から、まして脳が飛躍的に発達する思春期前から「人の道」を指針に生き抜いてきた自分を大したものだと内心思っている。
だって、人の道に反したらどうなるのか、身近に見てきたのだから。
よく「芯が通っている」と私は言われる。
もしかしたらそれは私の生き方の方針がただ一つ「人の道から外れないこと」に固定されているからかもしれない。