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(心中吐露)日当と電車賃と妹と治療法と社労士さん。
(これは昨夜書いた記事です。私は考えることをやめられない脳みそしか持っていないみたい…)
今日はいつもよりしっかり在宅作業をした。
昼食は白むすびを一つ。
食べている時間さえ惜しい。
昨日は電車に乗ったから。
行って帰って、交通費で吹っ飛ぶ日当。
財布の中身を見れば、メシ食ってる暇もない。
初診のお医者さんは噂通り優しい雰囲気の人だった。
私がスピード感さえ求めなければココで治療するのもいいのではないかと感じた。
まだカウンセラーさんとはお会いしていないから即決はしない。
ここ2週間くらいで3カ所回った。
私の事情を知ってくれている社労士さんに直にお話を伺って、自分に合いそうかも?というところを回っている(中にはうちの親に雰囲気の似た医師もいるし、PTSD治療には不向きな医師の入れ替わりが激しいクリニックもコッソリ教えてくださる)。
しかし、こうも医師から『エクスポージャーやる気なの!?』と驚かれると…
実は、『ウチでは対処しきれなくてごめんね…』と転院をすすめてくれた医師は、最初おっしゃった。
『…あまり日本では取り入れられていないというか…日本人向けじゃないというか…個人戦を好む人というか…』
『?』
『そりゃPTSDだから助けて!って言う人はいるんだけど…外国の本持ってきてPTSDだからコレで戦うの手伝って!っていう勇ましい人はアナタが初めて』
『え?じゃあ、みなさん何とおっしゃるんです?』
『助けて!、守って!』
『あ、はい。
わからなくはないです。
私も今は守って欲しいです。
助けてほしいです。
でも、ずっと誰かに守ってもらうのは望んでない…かなぁと思います。
現実と、過去の記憶にしっかり境界線を引いて、頭でも身体でも「今は違うんだよぉおっ!」って認識できるようになりたいです。
少なくとも、盾は自分の手で持ちたいです』
『……。
親に身ぐるみ剥がされて駅前に捨てられたなんて相当ショックだったはずなのに…
アナタ十分強いのに…』
『???
強くなりたいんじゃなくて、無駄に傷つかないためにエクスポージャーを…ん、まぁ怖かったですけど』
あれからもう5ヶ月目。
こんなに、持続エクスポージャーって医師が怖がるんだ…。
まぁね、生傷に麻酔かけずに手ぇ突っ込むようなものよ?
そりゃ、医者だってカウンセラーだって怖いし、覚悟いるもんね。
私がオカシイのかな?
今日も作業中にまた涙が溢れてしまった。
昨日の初診で家族構成を訊かれたから…
まだ、私を慕っていてくれた頃の妹を思い出して。
作業の手が止まりそうになる。
なかなか合格者の少ない進学高校に入学した私(発達検査の結果ではそれがまず信じられないほどスゴイことらしい💧)。
毎晩2時まで勉強して、それでもギリギリセーフ合格。
とっくに口はきけなくなっていたし、拒食状態で心拍数もすごく少なくなっていた。
入学から2ヶ月で出席日数が足りなくなり、大学進学できない状態なら辞めたら?と学校側から言われ、私は『一年は粘りたい』と食い下がったが母が勝手に却下し私は退学となった。
単に母のプライドが傷付いて、退学届に判ついちまったんだな。
当時、私の通っていた中学校では私が進学校を退学したことが結構大きな問題となり、職員会議が開かれた。
私の妹はちょうど3学年違いだったから、中学に入学したばかりだった。
そして、たまたま職員室前を通り掛かり会議内容を聴いてしまったそうだ…。
妹は職員室のドアを開け、教職員に言い放った。
『元気だったお姉ちゃん返せ!!』
更に乗り込んだそうだ。
『お前らが、教師としてやらなきゃならない仕事を姉ちゃんに押し付けてただろうが!!
なんで、うちの姉ちゃんが修学旅行や遠足やオリエンテーションの引率しなきゃならなかったんだよ!
不良の引率が怖いから、姉ちゃんにさせてただけだろう!
お前らの仕事、うちの姉ちゃんにさせて、何が!!
病気になったから?退学?問題??
何が!』
『姉ちゃんを返せ!!!』
夕方、私が力なく部屋にへたり込んでいると、大声で泣きながら妹が帰ってきた。
『アイツら〜、お姉ちゃんのこと会議なんかしやがって…
なんで、こうなる前に会議しなかったんだよぉぉっ!』
実は私は当時、完全に学年崩壊を起こしていた中学校で教師の相談に乗ったり、教師が怖がる不良に注意をする係をさせられたり、校外学習時に不良の引率を任されていたのだ。
小学生時代いじめられっ子だった私は中学で寝る間を惜しんで猛勉強。
私は優等生の仲間入りを果たし、文化部のくせに体育の成績もすこぶるよく、運動部の中には『次の△△大会で〇〇に負けたら罰として✕✕キロ走らせる!』なんてルールを設けている部まであったのだ。
だから、不良も私には歯が立たず(と、言うかどんな悪口もユーモアで切り返されちゃうから戦う気にならなかったんだろうね…)そんなおかしな役割を担ってしまっていたのだ。
だから、体育館横を通るときに中から石が飛んできたり。
…というかかなりデカかったから…直径25センチ位あるやつ。4つ。
もう『岩』だったよなぁ。
『アンタたち、こんなに重たいものわざわざ私のために拾って用意したん?
体育館の中に?
えらい労力使ったのぅ。
根性あるのぅ』
と言っておいた。
棒切れでぶっ叩こうにも、私は腕で受けちゃうから顔には当たらないし。
『アンタたちには私が浦島太郎のカメさんに見えとるだねぇ〜』
と言われて終わる。
私が珍しく学校でう○こしていたら、当時ヤンチャしてたやつがタバコ吸いに来やがって、
『…ふーっ…くっせぇな』
『ったりめぇだろ便所はクソするところなんだよ
お前、いままでどこでクソしてたんだよ』『なんだ、お前か』
『別にチクりゃしないよ、
その代わり早くどっか行けよ
気が散る。
クソ投げるぞ』
実はコイツは私が一時ヤンチャの道に行こうかと考えた頃の仲間だったから、こんな話し方だったのだ。
ちょうど母に診断が降りた、私が10歳のときの不良仲間(?)みたいなものだった。
ただ、私にはヤンチャや不良は性に合わず、すぐに離れた。
特に楽しくはなかったから。
だが、コイツ相手に話すときは言葉遣いが昔に戻っていた。
そんなこんなで、勉強以外にもおかしな仕事がある中学時代だった。
妹はちゃんと知っていたんだな…
『アイツら、お姉ちゃんにみんな押し付けて、お姉ちゃんのこと問題だ、だなんて!!
許せなかったぁーっ!』
妹は私よりよく泣く子だった。
私が7歳の頃、虐待されながらムリヤリ計算の練習をさせられていた際に、『お腹すいた』と妹が言った。
計算が昨日より一秒早くできないと、夕飯にならないからだ。
母はさらに包丁を机に叩きつけて
『あ〜あ、〇〇がのろまだから◇◇ちゃんまでご飯食べられない。
かわいそ〜!』
と言って更に私を追い詰めていた。
妹はそんな晩に、私に抱きついて泣いた。
『おねえちゃんごめんね
わたし
おなかすいたなんていったから
おねえちゃん
もっとおこられた』
…気にしてたんだね。
泣かなくていいよ。
大丈夫だから…
4歳の、まだ字も読めないような子にこんなこと謝らせるなんて…
なんて悪いおねえちゃんなんだろう、私は…
7歳の私は唇を噛んだ。
そんな彼女も今はどこに居るやらわからない。
生きているかもわからない。
成人する頃の彼女はもう自傷が止まらなくなり、私は何度も強いショックを受けた。
その頃には、母からの影響を受けてか私にも暴言暴力を浴びせることも出てきた。
いま、あの子はどこに居るだろう。
ねぇ、オカアサンから離れた?
オカアサンいなくてもアナタは生きていける。
私に暴言浴びせたアナタを私はアナタだと思ってない。
私にしがみついて泣いていたアナタが本物に近い。
だけど、近いだけ。
アナタはホントはもっとつぉいんだよ。
私はね、アナタを守りたかった。
いつも母が私に言っていた言葉。
『お前は失敗作だ!』
『じゃあ、◇◇のことは失敗作になさらないでくださいね!』
同じことしか返してなかったね。
違うよね。
人間は作品じゃない。
『じゃあ、◇◇のことは人間として尊重してくださいね!』
これが正しかった。
いま、悔やんでも何もならない。
私は日当を稼がなくてはならない。
考えないように…
考えないように…
作業終了と共に、私はベッドに倒れ込んだ。
焼き付いて離れない。
妹の泣き顔。
真っ赤な部屋。
あの子だってもう30代か。
あれ以上毒されずに、生きているだろうか?
存命だろうか?
心理検査と発達検査の結果で、私は『視覚』にほとんど頼ってしまっているとわかった。
だから、情景が焼き付いて離れない。
まるで巨大な絵のように。
それが何枚も何枚も入っているそうだ。
私の頭の中は暴力美術館。
地方都市とはいえ、かなり大都会なのに。
エクスポージャーやりたがる私はよっぽど麻痺しているのか?
それならいっそ、日本の医師が安全だと言い張るカウンセリングにする?
だけど、それなら『ウチでは診れない』ってとこと一緒じゃないかなぁ?
まだ、医療3つ目。
だけど、私にとって安全な医師が何人いるか…実のところ、年金の延長申請が一番ネックなのである。
今回は私が貧しすぎて社労士さんに成功報酬を払えないため、情報は教えていただいて、自分の足で一人ずつ医師と対面して回っているのだ。
本当に、色々教えてくださる社労士さんに感謝してる。
本来ならここまで昔のクライアントに世話を焼く義務なんて無いはずだ。
私がギリギリで生活してるのも生育環境も知ってみえるから情報だけでもって教えてくださるんだもの。
ある面では不運で、ある面では幸運だ。
私が『変な母親に育てられても作品をたくさん残した岡本太郎はすごい』と言ったら、
不遇をダシにするヤツもいるがねと『ウチではPTSDは診れない』医師に言われた。
私はモヤモヤした。
悪い人ではないが、私はそのときまるで『不遇をダシにしている』と自分が言われたように感じた。
この先生、嫌いじゃないが、たまに毒を感じるのだ。
このあたりの認知の歪みも本来治さなくてはならないなと、私は感じている。
ちょっとした事にも『危険』と判断してだんだん体調が悪くなるから。